穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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忘れ難きめしの味

 

 良きにつけ、悪しきにつけ。


 めしにまつわる記憶というのは容易に希薄化をゆるさない。


 生存に直結する要素だからか、当人自身意外なほどに後を引き、ふとしたはずみで表面化して、そのときの行動を左右する。


 たとえば宮崎甚左衛門だ。


 のちの文明堂東京社長も、若い時分はどうにも腰が落ち着かず、職を転々としたものだった。自転車屋に潜り込んでいたかと思えば、水夫として遠い洋上に浮んでいた時期もある。


 その遍歴中、さる縁により長崎の雑貨店に雇われた。

 

 

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(長崎港)

 


 店の名前は大名商館。本籠町に暖簾を掲げ、外国人をメインターゲットに絞っての商売を営んでいたものという。


 扱っている商品はどれもこれも目を奪うほど鮮やかなれど、入店間もない宮崎がそれらに触れる機会なんぞはむろん無い。ランプ掃除に始まって便所掃除に風呂沸かし、荷車の出し入れ等々と、丁稚奉公めいた雑役処理が主である。


 前の通りがちょうどおわい・・・屋の巡回経路となっていたので、そいつの桶からこぼれ出た汚物の処理も新入りの役目として押し付けられた。このあたり、外人向けの商売をしながらその内面は、典型的な日本人らしい陰湿さに満ちている。


 これで月給がわずか三円。月に休みは一度きり。その一度の休みを返上すると、御褒美として五十銭の手当てが貰える仕組みであった。


(五十銭。――)


 明確なビジョンはさっぱりなれど、いつか独立して自分の店を持ちたいとの夢だけは、宮崎の胸に常にある。若い血肉を痛々しいばかりに疼かせている。


 そのときのために、今は一厘でも多くのカネを貯めておきたい。


 夢が、野心が、彼に無茶を厭わせなかった。ほとんど毎月、宮崎は休みを返上し、身を粉にして働いた。


 睡眠だけが、彼の唯一の慰安であった。普通ならここに「食事」の二文字が加えられていいのだが、いかんせん当時の炊事役が最悪だった。前述した「日本人らしい陰湿さ」を掻き集めては鍋にぶち込み煮上げに煮上げ、結晶化させたような輩であった。

 


 …炊事は五島から来た女中任せで、その女中というのがコスイ女だったから堪らない。主人から渡されたおかず代のピンをはねて、いつもイワシやアジと葱を辛く煮つけたようなものばかり食わせ、ウドンとかソウメン等汁気のものは食べさせなかった。(中略)飯を惜しがる主人は、こんなことをやるものだ。朝のご飯なら、前の晩にやわらかめに炊いておくのである。そうすると、冬は冷たく凍っておるので、なかなかのどを通らないという仕掛けである。嘘のような話だが、昔の商人には、こんなことをやった人もあったのである。しかし、そんな店は、ほんとうの長い繁昌はしないようだ。(『商道五十年』52~53頁)

 

 

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 やがて文明堂の社長となった宮崎は、自己の経験を存分に活用。「店員や工員の食事については、いつも、栄養のあるおいしいものを充分に食べさせるよう、また温かくして出すよう、特別気をつけさせて」いたという。


 同じ苦しみを味わわせて憂さを晴らすにあらずして、きちんと反面教師にしたあたり、流石の器量といっていい。


 もう一人、どうしても本稿中で触れておきたい者がいる。明治の元勲、初代内閣総理大臣伊藤博文その人である。


 彼の少年時代の経歴に、「若党奉公」の四文字がある。


 井原素兵衛なる六百石取りの大身の家に雇われて、使い歩きや道具持ち、その他種々の雑役に精を出したものだった。


 貧家に生れた常として、それ自体は珍しくない。


 妙なのは、この時期の伊藤が頑として、冷飯を喰わなかったことである。


 女中が飯櫃を差し向けても、中身が冷え切っていた場合、ただの一粒も口に入れない。喰う真似をしてその場を繕い、機を見てそっと道具一式を片付けてしまう。

 

 

Rice in the wooden tub

 (Wikipediaより、白木の飯櫃)

 


 味覚というより、どうも気位の問題らしい。鷹は飢えても穂を摘まずを実践している心算つもりだろうか。少なからぬ同輩がそう受け取って、


「いやなやつだ」


 とささやき合った。


 気高さゆえに冷飯喰いを拒むというなら、同様の環境に甘んじている大勢の立場はどうなるであろう。暗に見下されているも同然であり、この点はなはだ面白くない。


「百姓生まれの分際で、何を肩肘張りやがる」


 およそ愚劣な言いがかりだが、この程度の小人が絶えずウヨウヨ跋扈するのが浮世という場所であり、藤公自身そのことを、全身で学ぶこととなる。


 が、それと同時に、どの界隈にも変わり種は居るとみえ。


 井原家に奉公する顔触れのうち、ひとり前田という女中ばかりがこの伊藤を憐れがり、時折密かに温めためしを差し入れてやっていたそうだ。

 

 

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 ただそれだけの話だが、伊藤は決してこの「恩情」を忘れなかった。明治維新後、伊藤が前田某女に報いるところ極めて厚く、生活上の不安をなからしめたのはもちろんのこと、更にはその子を東京に呼び寄せ、何くれとなく世話を焼き、洋々たる前途が広がるように取り計らうなど、とにかくちょっと度外れた礼遇ぶりを発揮した。


 彼女に貰った温飯が、よほど味わい深かったとしか思えない。伊藤にとって、それは断じて「些事」でなかった。


 食い物が絡むと、恩も怨みもおそろしい。いとも容易く深刻化する。その象徴たる例だろう。

 

 

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