穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

漁師たちの暇潰し ―ハコフグ製のタバコ入れ―


 人間とは悲しいまでに文化的ないきものである。


 無聊に対する慰めなくして、三日と生きれるものでない。


 明治三十七・八年、満洲の曠野に展開し、ロシア軍と血で血を洗う激闘を繰り広げていた日本陸軍にあってさえ、ときおり歌舞伎の興行をやり退屈を紛らわしていたものだ。

 

 

Formation of a division of the Japanese 1st. Army after the Battle of Mukden

Wikipediaより、奉天会戦後の日本軍第一師団) 

 


 内地から本職プロを呼び寄せたのでは、むろんない。


 役者・演出・道具立てに至るまで、すべて兵たちの自弁であった。女形さえ蓬髪垢面の仲間内から選出している。素人芸もいいところ、ひとつとして稚拙ならざるはなかったが、それでも毎回大喝采を浴びたというから如何に精神が渇いていたか窺えよう。


 ひどいのになると、同僚の墓の絵を描いて、しかもそれを本人に見せつけ、嫌な顔をされて喜ぶ変態じみた野郎までいた。


 おまけにそれが娑婆っ気の抜けない新兵ではなく、既に銃火の洗礼を受け、敵味方の死体の山を乗り越えてきた堂々たる尉官なのだから堪らない。

 


 芳野少尉は中隊長以下四名の石碑の画を描いて頻りに戯言ふざける、一体芳野少尉は恁う言ふことに無頓着であるのか又は僕の様に神経過敏でないのか平気に「人の死」と云ふことに就ての悪戯をする、鳳凰城で滞在の時に「多門二郎之墓」と云ふ墓標を綺麗に描いたのを見せたら僕が「縁起が悪い、止めて呉れ」と云った、すると「そうですか、それではかうだ」と云ひながら消して今度は自分の名前に書き代へたことがある、(多門二郎著『征露の凱歌』227頁)

 

 

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(第一軍陣中相撲大会の様子)

 


 軍人に於いて既に然り。


 況や漁師に於いてをや。岡本信男の『海を耕す』には、海の男ならではの暇潰し術が盛りだくさんに載っている。


 それらのうち、特に興趣に富んだものを抜き出してみよう。商品価値のない、しかし網膜に鮮やかな珍魚奇貝こそ彼らにとっての玩具であった。


 たとえばハコフグ

 

 

Lactoria fornasini 2

 (Wikipediaより、ハコフグ科シマウミスズメ

 


 鱗から発達した骨板で全身を鎧のように覆い尽くしたこのいきものを、「亀の手足をもぎとって、これに鰭をつけたようである」と表現したのは、蓋し玄妙であったろう。「全く函の様に立体的で、網から出ると鰭をピクピク動してゐるが体は絶対に動かない。一度横にすると起上ることは出来ない。(中略)之を三分の二の所から二つに切り、内臓を出して天日に二三日位乾して、ニスを塗ると上が蓋となり、立派な煙草入になる」(『海を耕す』209~210頁)。


 想像してみる。


 赤銅色に日焼けしきった大丈夫から、


 ――一本どうだい。


 と、フグの剥製を差し出される光景を。


 おそらく意図を解しかね、まじまじと相手の顔を凝視するに違いない。私はそういう、発想の飛躍に乏しい性質だ。


 ハリセンボン、タツノオトシゴもやはり内臓を抜き取って、天日に乾してニスを塗ると渋みのある、いい飾り物になったという。陸で待つ家族の土産にと、工作に勤しむ船員は思いのほか多かった。

 

 

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 ヘコアユを栞に仕立てる名手もいたし、カツオの尾鰭を釜で蒸しあげ、小骨を取り出しオキシフルで消毒しつつ漂白し、太い方に食紅をつけて爪楊枝にする物好きもいた。日本人とはなんと凝り性な民族かと、つい大きな括りで考えたくなる。


 あと、興味を惹かれたのは、やはりカブトガニに関してだろう。

 


 カブトガニは時々沢山入って来て処理に困ることがある。鋼鉄の様な尾を持って一つづつ海に投げ込むと、喜んで海底に沈んで行く。利用価値なき幸なる動物よ。(214~215頁)

 


 なんともはや、時代を感じる下りではないか。


 カブトガニに「利用価値がない」などと、もはや昔の夢物語。その青い血が内毒素の検出薬として非常に優秀なことを確認されて以降、大量に捕獲されては工場で、文字通り生血を絞られる憂き目に遭った。

 
 否、現在進行形で遭い続けている。昨今のコロナ騒動で、またぞろ需要が高まったと耳にした。

 

 

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(デッキ清掃中の地洋丸) 

 


 彼らはもはや、岡本の言うような「幸なる動物」では全然ないのだ。


 世の移り変わりを意識せずにはいられない。

 

 

 

 

 


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