船員法の話をしたい。
在りし日の第十二条は、こんな文面であったという。
船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶、又積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船中ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニアラザレバ其ノ指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ズ。
不慮の事故か何かによって沈没の危機が突発しようと、船長たるもの、持ち場を放棄することなかれ。
事態収拾のため力を尽くし、文字通り「最後の一人」となるまでは、決して船を離れるな。
その結果、たとえ「船と運命を共にする」展開になろうと従容として受け入れよ。――噛み砕いて言えばこんな具合か。
血気盛んな若者にとってこういう文句は、萎縮どころか却って滝に打たれるような戦慄を惹起し、心気を昂揚させること、大なる効果があるようだ。『北洋鮭鱒』や『日本漁業通史』、『水産人物百年史』等を世に著して、日本人の海に対する興味増進に一役買った岡本信男も駆け出しのころこれを読み、「身の引締まる感じがした」と述べている。(昭和十六年『海を耕す』22頁)
本書は昭和十三年、著者が初めて従事したトロール漁の体験をもとに綴られている。
岡本信男は大正五年の生まれだから、このとき22歳かそこらに過ぎない。
若い。現代の感覚に当て嵌めるなら、ちょうど大学出たての新卒だ。
ところで「お客様」にあらずして、いっぱしの「労働者」として
船員手帳、これである。
岡本は熊本逓信局海事部下関分室に届け出を出し、無事交付される運びとなった。
初めて手に取る物珍しさにぱらぱらページを捲っているうち、件の第十二条を見付けたというわけである。
巻末には船員法を筆頭として、船員最低年齢法、商法第五篇、海事諸法台湾施行令等々と、船員関連法規類がひとまとめに載っていたのだ。「帝国に国籍を置く、日本人の船員として、是非知って置かねばならぬ重要な法規であると思った」と、模範的なことを言っている。
当時の彼はアップ――
事実として、当時の岡本は燃えていた。
彼の乗り込んだトロール船「地洋丸」が下関の港を離れ、南シナ海の漁場めがけて進みはじめたときの詩作にも、抑えようにも抑えきれない血の滾り、若々しい気負い込みがよく顕れている。
(トロール船「地洋丸」)
若者は、否、総じて男といういきものは、これぐらい気宇壮大なのが望ましい。
『葉隠』にも「惣じて修行は大高慢でなければ、益に立たず候。我一人して御家を動かさぬとかからねば、修行は物にならざるなり」とある。
身の丈にあわない野心を抱け、大きいことはいいことだ。
私は誰よりも自分自身に、これを言い聞かせるとしよう。
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