あるいは引っ掛け問題として、漢検にでも
「酒」の部首はサンズイではない。
こいつをパーツに含んだ文字は、大抵酒か、さもなくば発酵製品にかかわりが深い。
酌、酔、酩、酢、酪、醤あたりが代表的だ。「醵」や「酋」なんかもまた然り。寄付金集めの古風な呼び名を「醵金」というが、本来「醵」の字はただこれだけで「金を出し合って酒を呑む」という意味を持つ。
「酋」の方もよく似たものだ。「酋長」といって、専ら未開部族のオサを指す単語に用いられるが、実はこれ一文字だけでも「よく熟した酒」を表している。
飲酒によって得られる酔いは、屡々神秘体験に役立てられた。
祭政一致の原始社会では、王は同時に神官でもある。よりよき酒を醸せること、すなわちより強烈に神と繋がる能力こそが、オサとして推戴される第一要件だったとしても、不思議がるには及ぶまい。
現に戦前、台湾北部に麹づくりを酋長から酋長へ、一子相伝の秘法として継承してきた部族が居ると、住江金之なる醸造学者が報告している。
住江金之、後の東京農業大学名誉教授。同校に醸造学科が設置された際、初代科長を務めた男。
「酒博士」の異名が示すそのままに、紛うことなき斯道の権威といっていい。
この人はやはり台湾で、口噛み酒を賞味もしている。そう、簡単に作れる利点から、『天穂のサクナヒメ』でもさんざん世話になったあの酒だ。
協力してくれたのは、台東県を縄張りとするプユマ族。漢字では「卑南」と書くらしい。
かつての世では清朝から冊封を受け、卑南大王を名乗り、威を逞しくした人々である。
それだけに文化水準も割合高く、平素嗜むための酒は輸入した支那麹を使って醸し、古式ゆかしき口噛み酒は、祭礼用の「特別品」に化しきっていた。
その場に同席させてもらった格好である。
私は之を実見したが、十五六から十七八位の少女が集り、少し柔かく炊いた飯を三本の指で撮んで口に入れる。永く噛んで甘くなったところで平たい笊(笊ではあるが笊目に生甘藷をすりこんで水が洩らぬ様になって居る)に吐き溜めておく、一昼夜位してから飲用するのである。私の飲んだところでは粥状をなし、甘さも甘酒程度で、まだ酒精分は殆どなかった。(昭和五年『酒』21頁)
口噛み酒と相並んで原始的な酒といえば、やはり「猿酒」が頭に浮かぶ。
野生の猿が木の
つまりは偶然の産物であり、お目にかかれる機会は滅多にない。
『隻狼』では火を吹くほどに辛い酒、すなわち「修羅酒」として描写されたが、信州伊那の民族学者・向山雅重の報告は違う。およそ真逆の性質を持つ。
明治四十年代のことだった。白骨温泉の新宅の老人から猿のつくった酒を御馳走になったことがある。
甘い、アルコール気分がない、甘ったるい、水飴でもないが、酒とより思へぬもの、味醂でもなく、とろんとしてうまいもので、一寸赤みのある、
まあ、しょせん猿の拵えるものだ。
一定の規格なぞあるはずもなく、地域によって味が異なるのは当然といえる。
だいたい葦名の猿とはなんであろう、巧みに二刀を操って狼を膾に刻んだり、首を斬り落としても動きを止めず、どころかいよいよ暴威を逞しくして攻めて来たりする、異類中の異類ではないか。
あのいきものに、普通を求めた私の方が愚かであった。そりゃあ修羅酒程度醸すであろう。まったくあの土地一帯は、風雪までもが殺気を帯びて吹きすさぶ。
(石和の街より白嶺三山を望む)
なにやらひどく脱線してきたようなので、このあたりで切り上げる。
酒を語ると大抵いつもこんな具合に話頭の目まぐるしい転換を呼び、全体のまとまりを欠くのが私の癖だ。
酔っ払いの千鳥足でもあるまいに。落ち着けないものである。
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