ラジオが世に出たあの当時、能力の限界を測るため、それは多くの実験が執り行われたものだった。
(Wikipediaより、レトロラジオ)
何ができて、何ができないのか。
誰にも未だ知られざる、隠された効果・効能が何処ぞに潜在してないか。
そういうことを把握しようと、ありとあらゆる角度から、突っついたり撫で回したり、趣向を精いっぱい凝らし。後世から観測すれば滑稽としか言いようのない試行まで、ガンガン着手したそうな。
新奇なモノに遭遇した際、花火のように鮮やかに好奇心を弾けさせ、勁烈一途にむしゃぶりついてゆけるのは、その民族が若々しい証明だ。
ワイマール共和政ドイツでは、第一次世界大戦で心をやられた兵士の治癒に、ラジオを活用せんとした。居並ぶ病床、ひとつひとつに設置して、至近距離から鼓膜へと、なにごとかを吹き込めるよう計らった。
おそらく患者の容態次第で放送する内容を切り替えたりもしていただろう。
一律ではなく、個々別ならばそれも叶う。
文面から想像すると、なにやらスカルフェイスお手製の声帯虫工場が脳裏に浮かび、陰鬱な気が立ちこめる。しかしそいつは、偏見というものだろう。脱走を企む患者もおらず、実際の病棟の雰囲気は快活というに近かった。
アメリカでは一九二〇年代末期から、厩舎でラジオを流す風潮が盛り上がりをみせていた。
主に乳牛を対象に、クラシック音楽を聴かせまくったそうである。
不思議なことにそうすると、乳の出がすこぶる良くなった。
原理はさっぱり不明だが、山のような体験談は信を置くに十分であり。まるでドミノ倒しのように、実に多くの牧畜業者が後を追って参加した。
(厩舎で稼働するラジオ)
わが日本にもラジオの魅力に憑かれるあまり、
「ひょっとすると森羅万象はラジオなのではなかろうか」
と、妙なことを口走ったやつがいる。
工学博士・田中龍夫その人である。
昭和五年、日比谷公園で開かれたラジオ展覧会の盛況を受け、溢出する情念のまま彼は言葉を組み立てた。
「愈々ラヂオ全盛の時代が来た。写真電送、テレヴィジョン、愈々奇々妙々の域に進んで来た。今日になって見ると、眼に見えるものも見えないものも一切がラヂオ式の顕現ではあるまいか。大きい波や小さい波、色々の波が組合って此の三千大千世界を組織して居るものではあるまいか。東洋的に天地宇宙の姿を探求して云った色即是空、空即是色の八字は、之を現代的に解釈すれば、色即是電、電即是色である。一切の現象は電気の現れである。針金も空気も何もない処を洋々と伝はり行くラヂオである。見える姿も見えざる姿も一切が結局ラヂオ的根源に帰着すべきである」
パッと見、重篤な熱病患者特有の、せん妄状態から放出されるあられもない呟きの亜種のようにも思えるが、波動関数の概念を頭に入れて読む場合、あながちただの戯言と切って捨てるわけにもいかぬ。
どうして物理は深いところで哲学性を帯びるのか。
田中龍夫先生は後々更に上の認識を強化して、ついには信仰の域にも飛躍、「唯電主義」「唯電史観」を自称するまでなってゆく。
正誤の詮索は別にして、奇人であるのは疑いがない。
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