奥の細道ラヂオで拓け
四方の便りも居ながらに
四方の便りも居ながらに
はやて来るよとラヂオの知らせ
着けよ船々鹽釜へ
さあさ漕げ々々ラヂオで聴いた
沖は凪だよ大漁船
仙台局の放送開始を記念して、と『マイク放談』(昭和十年、国米藤吉著)には書いてあるから、おそらく昭和三年六月十六日のことだろう。この日こそは同市に置かれた日本放送協会東北支部が電波発信を開始した、さても目出度き「ハレの日」だった。
(秋田県東由利の石沢峡)
祝福には歌が付き物である。
その原則は、この場合にも遺憾なく適応されたものだった。
九尺二間にアンテナ立てゝ
世には後れぬ心がけ
世には後れぬ心がけ
四海波風ラヂオを乗せて
処到らぬ隅もない
さんさ時雨るるかや野の里も
ほだの灯りにラヂオ聞く
ラヂオたよりに苦労も解けて
待て居るぞい大漁船
東北六県草莽の士が詩心を尽して綴りあげたる句作の数々。日本放送協会に「当選歌」と認められ、初放送時に発表されただけあって、当時の生活風景が自然と網膜に浮かび上がってくるような、そういう優れた作品ばかりだ。
ラヂオラヂオで子供がなつく
なつく子供は身を立てる
なつく子供は身を立てる
国見がくれに未だ帆が見えぬ
今日のラヂオは時化模様
主の晩酌ラヂオの肴
唄にとろりと流れ山
パソコンどころかテレビさえも存在しないかの時代、ラジオの価値は計り知れないほど重い。
ラジオだけが唯一つ、距離と時間の羈絆を脱して、広範な情報共有を実現し得る手段であった。
その楽しさ、便利さ、快さがよく顕れていると思う。
明日は雨だとラヂオの予報
みんな出て行け桑畑
みんな出て行け桑畑
主の入船案じて居たが
ラヂオが聴かせる海の幸