オートパイロットの発明は早い。
第二次世界大戦以前、1930年代半ばにはもう、北米大陸合衆国にて実用認可が下りている。
従来、大型旅客機は、運航に当たって最低二名の操縦士を要したが、オートパイロットを搭載してさえいるならば、一名でも構わぬと、思い切った規則改定も敢えてした。
開拓者の末裔
が、およそ人間のやることで、
一利を新たに加えれば、必ず一害、どこかから湧く。物理的必然性すら垣間見える反動現象、社会の、いわば生理であった。
この場合も、やはり出た。
昭和九年に小川太一郎が報告してくれている、ラダイト運動一歩手前の、騒然たる物情を――。
「自動操縦装置が実用化されたために、今まで大型の旅客機には二名以上の飛行士が乗ってゐなければならぬといふ政府の規則が改正されて、この自動操縦装置があれば、飛行士は一名でよろしいといふことになった。
給料の高いアメリカのことだから、会社は争って、この自動操縦装置を採用する。副操縦士は仕事を失ってしまふ。こんなことから、たうたう定期航空会社と、その操縦士との間に悶着が起って、今にもストライキが起りさうになった」
小川は当時、東京帝大助教授にして航空研究所の所員。
『航空読本』『成層圏飛行』など、後に多くの著書を出す。
必然的に、こういう話題に四時絶え間なく耳を澄ませていなければ、務まらぬ立場であったのだろう。
――機械に仕事を奪われる。
そんな嘆きの叫喚が木霊したに相違ない。
思えばずいぶん長いこと、人間の精神を蝕んでいる恐怖であった。
汽車に直面した際の人力車夫も同じことを言っていた。
トラクターを目の当たりにした作男どももまた然り。
今日このごろに至っても、勃興するAIに、同種の危惧を抱く派が――。
何をするにも、一筋縄ではいかないものだ。
どれほど高天に昇ったところで、俗世の事情はつきまとう。空を飛べるようになっても、それこそ宇宙を泳げても、変革の道は常に険しい。
なお、パイロットらの一斉ストが「起りさうになった」――起こり
合衆国の公僕は、ちゃんと仕事をしたわけだ。
役人の無能と腐敗ほど、国民をして絶望へ駆り立てるものは他にない。それを思えば、彼らの為に、蓋し欣幸。
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