前線に在る多くの兵士が認めることを余儀なくされた。
戦争は変わった、という事実を、である。
ハンス・ブライトハウプトもまた、高い授業料を支払って、教訓を得た一人であった。
私たちははじめは、ほとんど子供のやうに真正直に正攻法によって攻撃しました。即ち真っ先に指揮者が大きな鬨の声を挙げて進み、中隊長の後には狙撃兵が続き、そして鼓手はあたかも死神を睡りから覚ますかのやうに太鼓を叩き続けました。ところが死神ははっきり目を覚ましてをり、死神と一緒に殺戮魔も亦さうだったんです。突撃して行った味方の兵は鉄条網にかかって顛倒し、結局こちらの攻撃は粉砕されて了ひ、しかも敵の姿はちっとも見えません。樹々の蔭から、地下から、とにかく隠れ場所から撃って来るんです。かういふ奸計にはやはり奸計で立ち向かはなければなりません。あり来たりの正攻法では到底だめで、詭計を主要武器として進むより他に手段はないといふことを固く決心してやるべきです。そこで私たちは敵の防塁へ向ってもぐらもちのやうに穴を掘り進みはじめました。(『最後の言葉』121頁)
鉄条網を張り巡らせた塹壕陣地と、発達した機関銃の効率的な運用は、旧態依然とした正面突撃を完膚なきまでに粉砕可能になってしまった。
結果齎されたものは何であったか。戦線は硬直し長期化し、名状し難い泥沼の消耗戦の幕開けである。
「戦争からきらめきと魔術的な美」が失われゆく過渡期的段階。その有り様を、ハンスの手紙は如実に伝えてくれている。彼はこれを「容易ならぬ試練の時」と呼び、未だ前時代的な思考法から脱しきれていない上層部に対して切歯扼腕するのも屡々だった。
上級指揮官にはこの実状に適した方法が理解出来よう筈がありません。かれらは味方が正攻法によった際の恐ろしい結果をちっとも見て居らず、従って私たちの申し立てに少しも信を置かないのです。いやそれどころではありません。はっきりいひますが、私たちは臆病者と思はれた次第なんです。(122頁)
どこの軍組織にも、こういう悩みは付き物のようだ。
変化する戦争に翻弄されつつも自己の最善を尽くしきり、祖国のためにあらん限りの力を振り絞ったハンス・ブライトハウプトも、1916年3月22日、とうとう死神の蒼白い手につかまった。
フランダースに於いて戦死している。ほんの6日前、30歳の誕生日を迎えたばかりであった。
死神といえば、自然発生的な俗謡か、それとも誰かの詩から引用したのか、そのあたりちょっとはっきりしないのであるが――。
生のさ中に踊ってる
こんなフレーズが、ドイツ塹壕陣地の一角で盛んに口ずさまれたらしい。
蓋し彼らの実感をまざまざと歌い上げたものだったろう。
百雷一時に落つるが如き砲声を毎日のように聞かされ続け、狭っ苦しい塹壕の中で泥と蛆とに塗れていると、だんだん気が変になり、自分の生死さえもあやふやになる。
こういう環境下にあると、人間ときに――「無害な」という但し書きがしっかり付くが――他の命に対する慈しみが、沛然と湧き上がって来るものらしい。
だからこういう光景が現出する。
西部戦線、フランス国内を行軍中のフリードリヒ・トレラが書き送った手紙からの抜粋だ。
村を通過しますと、母親たちが概ね小さな子を抱いて門口に立ち、他の子らはその側に立ち母親につかまり乍ら好奇的な眼で外国兵を眺めてゐます。この間暫くの間或る村に駐屯しましたが、やはり女子供が見てゐました。私は何といふことなくその方へひきつけられて行って、小さな子を抱き上げ、高い高いをしてやりました。その子は丁度うちのアンナ位の子でした。母親は眼に涙を浮かべて見てゐましたので、私は、自分も国にやはりこれと同じやうな娘を持ってゐるんだと説明してやりました。すると彼女は、自分の夫も亦従軍中なんですが、ちっともたよりがなく、ほんとに恐ろしいことですと答へました。かうした点は敵も味方も全く同一な次第です。(91~92頁)
まず以って、微笑ましい一幕といって差し支えない。
「過酷な戦地に在ってなお、人間性を忘れなかった勇敢なる男の姿」として讃えたがる者も少なからず居るだろう。
が、もしこの場面を隠し撮りされていたら大変だ。その写真は間違いなく、
「泣き叫ぶ母親から子供を奪うドイツ兵の凶行」
と報道されるに違いない。
実際問題、英仏両国が大戦中に展開したプロパガンダの凄まじさからして、その程度のことは平気でやりそうな気配がある。
『タイムズ』紙はドイツ軍が前線のすぐ後ろに工場を建て、戦場から死体を集めて来、人肉を煮詰めて軍需用品のグリセリンを蒸留しているとまことしやかに書き立てたし、『デイリー・メール』は存在しない赤ん坊をでっち上げ、彼が燃え盛る屋敷から救け出された遭難談を掲載し、その赤ん坊に同情が寄せられ、ぜひとも自分が引き取りたいとの手紙が殺到すると、今度は「赤ん坊は公開埋葬もできないような伝染病か何かで死んだように脚色した」。(フィリップ・ナイトリー著、『戦争報道の内幕』85頁)
これらの記事を読む限り、帝政ドイツはまったく悪の帝国で、皇帝ヴィルヘルム2世は世界征服を目論む誇大妄想狂であり、その麾下の軍隊はさながら吸血獣の群れのような印象を受ける。
およそ嗤うべき
なお、ウィンストン・チャーチルはこれでもまだ生温いと感じたらしく、
――『タイムズ』を徴発して官報にすべきだ。
こんな提案を、アスキス首相に対して大真面目に持ち出している。首相はやんわりと拒絶した。兵役拒否者を銃殺刑に処することにも肯じなかった彼らしい態度であったろう。
この世が私たちにとって生甲斐のあるものであるためには、簡単にただただ勝たなければならないのです。(『最後の手紙』134頁)
どちらの陣営も、勝利を求めてなりふり構わず死に物狂いで戦った。
もはや陳腐な善悪論が容喙できる領域ではないだろう。壮絶としかいいようがない。
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