穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

相模の水がめ


 心如水――心は水に似ると云う。

 


「堰けば瀑津瀬たきつせ、展ぶればながれ、澱ませれば水底に雲が行くかと思ふばかりの碧を凝らす深淵となる。淵、瀑津瀬何れを取っても水であると同時に直にそれをもって水を定義することは出来ない。それと等しくかの張りつめた時とこの展やかな時と何れも心の有様であるけれど、その一を捉へて心の標本だといふ訳には行かない、無理にさう決めればそれはもはや形骸である」

 


 岡本一平の言だった。

 

 

Ippei Okamoto

Wikipediaより、岡本一平

 


 禅をやっていた賜物か、この漫画家はおよそこの種の言い回しに堪能である。


 そういうわけで、水を観にゆくことにした。


 目指すは秦野市、神奈川西郊。


 表丹沢の麓に広がるこの街は、しばしば「水がめ」扱いされる。足下深くの地質学的特徴が、水を貯めるにすこぶる有利に出来上がっているからだ。その地下水の総量は、ざっと七億五千万トン。実に芦ノ湖に四倍し、なお余りある規模である。

 

 

Lake Ashi from Kojiri Pass 01

Wikipediaより、芦ノ湖

 


 膨大と呼ぶに相応しい、それだから市内至る処に滾々と水が湧いている。此度の狙いを遂げるにはうってつけな場所である。

 

 

 


 差し当っては出雲大社の分祠へ向かう。

 

 

 


 この注連縄のみごとさよ。

 

 

 


 拝殿脇には古井戸が。


 錆びた滑車に苔むした縄、古式ゆかしき手押しポンプの侘しさよ。


 既に埋められ、跡を遺すのみのようだが、この風情は悪くない。

 

 

 


 境内横手、鎮守の森を少し歩くと、

 

 

 


「幽玄」という概念が結晶化した景色に出逢う。

 

 

 


「ゆずりの水」と云うらしい。


 そのまま飲んでも健康上に害はない、保健所のお墨付きである。筆者も一口いただいた。江戸時代には長寿を齎す若水おちみずとして信仰されていたそうな。酒造りにも具されたらしい。功力籠れる味だった。

 

 

 


 参道沿いにはこんなやつの姿まで。

 

 

 


 まどろむように半分閉じた眼の奥に、深い叡智のきらめきを見る。

 

 

 


 かがみこみ、同じ目線で、暫く見つめ合ってはみたが。ついに声を聞かせてもらえはしなかった。共に語る対象として、私は未だ相応しからぬということか。精進が要る、精進せねば、中身を充実させなくば。

 

 

 


 次いで目指すは「弘法の清水」


 秦野盆地湧水群でも、特に有名な泉であろう。

 

 

 


 閑静な住宅街中に、それはひっそり湧いている。手を差し込むと、ひやりと冷たい。当然ここのもそのまま飲んで大丈夫である。

 

 

 


 ペットボトルをあてがうと、みるみるうちに満杯になる。一日百トンの湧出量は伊達でないのだ。せせらぎの音がなんとも耳に心地よい。

 

 

 


 〆はやっぱり温泉だ。弘法山の懐に六年前開かれた、「名水はだの富士見の湯」に浸かるべく、えっちらおっちら歩きゆく。

 

 

 


 眼下を流れるこの川は、水無川と云うらしい。よく澄んでいる。淵の碧さに、幾度も脚を止められた。

 

 

 

 

 此処に至りて改めて、漫画家・岡本一平の表現力に舌を巻く。

 

 

 

 

 堰けば瀑津瀬、展ぶれば流、澱ませれば深淵か。なるほど言い得て妙だった。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ