心如水――心は水に似ると云う。
「堰けば
岡本一平の言だった。
禅をやっていた賜物か、この漫画家はおよそこの種の言い回しに堪能である。
そういうわけで、水を観にゆくことにした。
目指すは秦野市、神奈川西郊。
表丹沢の麓に広がるこの街は、しばしば「水がめ」扱いされる。足下深くの地質学的特徴が、水を貯めるにすこぶる有利に出来上がっているからだ。その地下水の総量は、ざっと七億五千万トン。実に芦ノ湖に四倍し、なお余りある規模である。
膨大と呼ぶに相応しい、それだから市内至る処に滾々と水が湧いている。此度の狙いを遂げるにはうってつけな場所である。
差し当っては出雲大社の分祠へ向かう。
この注連縄のみごとさよ。
拝殿脇には古井戸が。
錆びた滑車に苔むした縄、古式ゆかしき手押しポンプの侘しさよ。
既に埋められ、跡を遺すのみのようだが、この風情は悪くない。
境内横手、鎮守の森を少し歩くと、
「幽玄」という概念が結晶化した景色に出逢う。
「ゆずりの水」と云うらしい。
そのまま飲んでも健康上に害はない、保健所のお墨付きである。筆者も一口いただいた。江戸時代には長寿を齎す
参道沿いにはこんなやつの姿まで。
まどろむように半分閉じた眼の奥に、深い叡智のきらめきを見る。
かがみこみ、同じ目線で、暫く見つめ合ってはみたが。ついに声を聞かせてもらえはしなかった。共に語る対象として、私は未だ相応しからぬということか。精進が要る、精進せねば、中身を充実させなくば。
次いで目指すは「弘法の清水」。
秦野盆地湧水群でも、特に有名な泉であろう。
閑静な住宅街中に、それはひっそり湧いている。手を差し込むと、ひやりと冷たい。当然ここのもそのまま飲んで大丈夫である。
ペットボトルをあてがうと、みるみるうちに満杯になる。一日百トンの湧出量は伊達でないのだ。せせらぎの音がなんとも耳に心地よい。
〆はやっぱり温泉だ。弘法山の懐に六年前開かれた、「名水はだの富士見の湯」に浸かるべく、えっちらおっちら歩きゆく。
眼下を流れるこの川は、水無川と云うらしい。よく澄んでいる。淵の碧さに、幾度も脚を止められた。
此処に至りて改めて、漫画家・岡本一平の表現力に舌を巻く。
堰けば瀑津瀬、展ぶれば流、澱ませれば深淵か。なるほど言い得て妙だった。
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