第一次世界大戦終結後、ヨーロッパには梅雨時の菌糸類みたくアカい思想が蔓延った。
イタリアで、ハンガリーで、ポルトガルで、方々で。もう明日にでも赤色革命が成るのではと危惧されるほど猖獗を極め、うち幾つかは実際問題、
(赤の広場)
唯物論の荼毒によって宗教はアヘンと嘲られ、欧州人の精神を永く抑制し続けた、ある種基盤をごっそり喪失した結果。道徳の頽廃、人心の堕落はもはや止め処もなくなって、日を追うごとに末期的形相を強めゆく1920年代社会を見せつけられまくり。――フランスの批評家、ポール・ブールジェは以下の如くに書いている、
「傲慢で皮相的な科学の影響の下に、信仰は一笑に伏され、良心は迷信として斥けられ、正直は偏見として取り扱われた。自己利害だけが動機として残存し、快楽が唯一の目的として据え置かれているこれらの傾向は、無論上長によって育まれたものであるけれども、特に青年に対して大なる影響を及ぼした。彼等の多くの者にとっては、悪は社会法を犯すことではなくて、逮捕されることである。彼等にとっては、悪及び徳は意味のない言葉である。道徳や義務は時代遅れの偏見、過ぎ去った世紀の残骸として彼等の目に映じている」
と。
すこぶる小気味よい観測である。
(Wikipediaより、ポール・ブールジェ)
悲観主義は大好きだ。
生田春月を崇敬し、
「厭世家にも慰めはある。厭世それ自体が一つの快楽である場合も多い。静かな丘の上にひとり坐して、十分に人間を憎み得る時は、厭世家にとっていかに喜ばしい時であらう。人生の中から悲惨な事実をあとからあとからかき集めて来て、かりにも人生を楽しいものだなどと云ふ者があれば、これでもかこれでもかと突き附けてやる時はどんなにか胸がすくであらう」
この一節を金科玉条と仰ぎ見るこの私の魂は、常に世の中の悲惨な事実を、その悲惨さに砕かれた先人たちの呪詛の聲とを渇望して餓えている。
全く以ってどうしようもない話だが、本日は特に人間という生き物を心の底から憎み抜きたい気分であった。
低気圧界の大魔王、西の空より迫りつつある台風が、きっとそうさせるのだろう。
手始めに、陸羯南からいってみる。
「財産ありて詐偽を働く者あり。智識ありて窃盗を作す者あり。官位ありて賄賂を取る者あり。されど、其の行為の未だ法律に触れざる限りは、是れ皆な上流の人士たるを失はざるか。曰く然り。人誰か上流人士たるを願はざらんや。若し斯くて上流人士たるを得るものとせば、社会なるものは是れ法律の範囲内に於ける悪事の競争場なり」
明治二十九年の『日本』新聞を通しての言。
法を軽んじ、法に背いて悦に入るのは所詮三流、一流どころの悪党は法の重みと利用価値とを知っている。
欺き、誤魔化し、すり抜けて、且つあわよくば楯にとる。法との間にそんな関係を築き得るのが要するに「賢いオトナ」の条件だ。さる皮肉屋な禅坊主が嘗てほざいた、
「払うべき金を払わないで済ますのが法律であり、其の踏み倒し方を教へるのが弁護士である」
このフレーズは、確かに真理の一面を穿っているに違いない。
(フランス、ルーアン裁判所)
ラルフ・ワルド・エマーソンにすら、現実の醜への嘆息はある。十九世紀アメリカ社会を俯瞰しての一文だ。
「この国には絶えず貧富の大競争が行はれてゐる。我々はただ幾ら幾らといふ、限られた量の小麦、羊毛、土地しか存在しない一つの市場に住んでゐるので、予にして幾何か余計を有すれば、他人は皆それだけ少く有さねばならぬことになる。礼儀を破ることなしには、何等の利福も有し得ないやうに思へる。他人の喜びを喜びとする者は一人もない、して、我国の組織は戦争のそれである、即ち強者の弱者を
この「コンコードの聖人」に、今のアメリカ、特にフィラデルフィアの街、ヤク中どもがゾンビみたいに正体なくうろつき廻るあの有り様を見せてやりたい。
それで彼の哲学にヒビが入るとは思わぬが、多少なりとも、情緒は掻き乱されるであろう。
結果生ずる心波情波の音にこそ、私は多大な興味を有す。
(『Division2』より)
トリは茅原華山に俟とう。
「教育の弊と政治の害とが新しい人から忠君も愛国も孝も節操も尽く抜き取ってしまって、そして新しい何物をも与へないから、唯自我、小さな自我がボンヤリと残った、自分さえ善ければ
短いが、しかし練り上げられた、意味の凝縮、よく施された論として、私はこれを気に入っている。
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