「商売といふものは国旗の光彩に依って発展するものである。又商売の進度に依って国旗の光彩が随伴する」。――青淵翁・渋沢栄一の言葉であった。
国威と国富の関係性の表現として、なかなか見事なものである。
一生懸命寝る間も惜しんで努力して、良品を
いやしくも
福澤諭吉は、弁えていた。
「貿易商売を助る一大器械あり。即ち軍艦大砲兵備是なり」。彼はきちんと成年の、文明世界の現実に適応済みの考え方を持っていた。おまけにそれを繕わず、渋沢よりもずっと直截に説いていた。
「各国の人民相互に貿易するには、各貿易の条約ありて、其取扱に就ては双方派遣の公使領事等に智愚もあらん、又其人民の商業に巧拙あらんと雖ども、結局の底を叩て吐露すれば、貿易の損益も亦其国の兵力如何に在りて存するものと云て可ならん」。畢竟するに、経済戦の優者たらんと欲するならば軍事力の後援がどうしたって不可欠であり、さもなくば巨富を積んだところで永く維持することは能わず、とどのつまりは肥えた豚。豺狼どもにやがて貪り喰われるためにいっとき目こぼしされている家畜の身に過ぎないと、身も蓋もない真実を明治十四年の段階で既に看破し去っていた。
「近年各国にて次第に新奇の武器を工夫し、又常備の兵員を増すことも日一日より多し。誠に無益の事にして誠に愚なりと雖ども、他人愚を働けば我も亦愚を以て之に応ぜざるを得ず。他人暴なれば我亦暴なり。他人権謀術数を用ゆれば我またこれを用ゆ」。――こういう言葉が出てくるあたり、福澤諭吉はヤワなインテリの青瓢箪とは程遠い。
一線を画すといっていい。薄気味悪い無抵抗主義とはまったく無縁。目には目を、鉄拳には鉄拳を。右の頬を打たれたならば、ちゃんと向こうの土手っ腹を蹴り上げられる、堂々たる日本男児そのものだ。
彼の
「世界は断じて理想家の空想してゐるやうな平和主義でやっていけるものではない。如何にせば英米を凌駕し得るや、如何にせば白皙人と対等に、否、彼等に頭を下げさすべきやといふ点に思ひをめぐらすと、学問でも、商売でも、いやしくも彼等以上になるには、智慧やお金だけでは、たとへコッチが勝つようになったとしても、こんどは腕力で邪魔されるに決まってゐる。結局最後は争闘だ」
輝かしき福澤精神の息吹、脈絡、面影を、如実に感じるではないか。
(小林一三)
やはり慶應義塾の系統は
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