明治五年に旗揚げしたる、なかなかの老舗ブランドである。
紆余曲折を経ながらも号を重ねて半世紀。創刊五十周年記念と題し、同社が掲げた
「新聞の勢力は、増すとも減ることはない。議会の両院に対して、これを第三院と称するも決して過言ではない。各国然り、わが国またその通りである。わが東京日日新聞が、言論の権威を高からしむるため、過去五十年、努力をおこたらなかったことは、われ等のいさゝかほこりとするところである」
(『東日』営業局)
「新聞の勢力は、増すとも減ることはない」、――なるほどなるほど。彼らは新聞を「王国」と呼んだ。ここから続く文脈で、「老いを知らざる王国」と。
素晴らしく荒い鼻息だった。
歴史の審判に照らした場合、これは一個の巨大な皮肉たり得よう。
「部数減」等を理由とし、富山県への『毎日新聞』配送が来たる九月末日より停止さる。そんなニュースが駆け巡った後からすればなんとも儚い、まさにまさしく今は昔の夢物語そのものだ。
ちなみにこのとし、つまり大正十一年の一月十日を砌とし、明治の元勲・大隈重信の魂魄がついに地上を去っている。
巨星墜つの慨だった。
その大隈だが、まだまだ壮健なりし頃、すなわち明治三十年に『東日』発刊八千號を記念して、特に請われて同紙に対し祝辞を寄せることをした。
せっかくなので以下に引用しておこう。
「東京日日新聞は今茲六月十五日を以て、其発刊八千號に達す、社員来て予に一言を祝せんことを請ふ、日日新聞の唱道する政論は、常に予の所見に反す、故に党同伐異の常情より之を謂へば、予は其盛大を願はんよりも、寧ろ其衰滅を願はざるべからず、然れども政論は同異相摩礪して其光輝を発揚するものなり、予は日日新聞の将来益々其筆鋒を鋭利にして予が為めに他山の石たらんことを願ふに堪へざるなり、因て祝す」
如何にも大隈重信らしい、気宇壮大な祝辞というか、いっそ気焔を上げすぎて発破・激励にはみ出している、そんな具合いの言だった。
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