「横着」こそ発展の鍵、「簡便化」こそ文明第一の効能だ。
多年に亙る訓練に堪え忍んだ玄人と、苦労知らずの素人の差を科学技術で補填する。煩雑な手間をなるたけ省き、ほんの僅かな労力で、従前同様、否、それ以上の良果を獲られるようにする。
ただ湯を沸かして注ぐだけで、「本場の味にも劣らない」ラーメン、コーヒー、味噌汁だのが作れるようになったが如く。
ドイツ人らの築き上げた文明は、その民族的嗜好に従い粉末ビール製造へと赴いた。水を加えて撹拌すれば、もうそれだけで豊かに泡立つ、インスタントなアルコール飲料の開発へ。
それも昨日今日の話ではない。
淵源は、想像以上に深かった。百年とんで二十年前、十九世紀末ごろにまで遡り得る。
なんとも古いーーが、だがしかし、いろいろ思い合わせてみれば、そう突飛とも言い切れないのやも知れぬ。
なんとなれば、フリーズドライ製法は当時既に存在している。イギリスがボーア戦争で「排水青物」をどっと前線に送った如く、一定の水準は確保している。
(Wikipediaより、凍結乾燥器の内部)
しからばこいつが何処までやれる代物か、如何な可能性を蔵しているか、あれこれ弄って納得ゆくまで検証したくなることは、蓋し自然な人情だろう。
1899年、すなわち明治三十二年、『時事新報』に掲載された「粉末麦酒発明」記事も、つまりそうした試みの一環だったのではないか。
「先頃ドイツに於て蒸発作用に依り麦酒を粉末に変ずるの法を発明したる者ある由にて、其粉末の少量に水と炭酸ガスを混和すれば、味恰も樽より汲み立てのものに異ならず、至極軽便にして従来の如く輸送に樽、壜を要せざれば、遠からず麦酒の醸造業に一大変動を及ぼすならんとて、ドイツを初め他国の当業者は之に応ずるの策に苦心し居れりと云ふ」(五月八日)
福沢諭吉は愛酒党で知られた男だ。
さぞ快いニュースだったに違いない。
(万延元年、福澤諭吉)
もっともこの粉末麦酒は予期されたほどの影響を醸造界に齎さなかった。水を注ぐより他に、炭酸ガスを加える要があるという、この一手間こそネックであって、とても家庭で気軽に楽しめるといった、安価なモノとはいかなんだ。
この問題の解決は、ごくごく最近、つい去年、ドイツ東部の、さる伝統ある修道院醸造所にて達成された。彼らの手になる粉末ビールは正真正銘、水にぶち込み撹拌すればもうそれだけで出来上がる、「簡便」を絵に書いたような品だった。
世界初の試みであり、快挙だと、一時期話題になってはいたが。
人間の想像力と云うやつは、完全新規を、容易なことでは許さぬらしい。似たようなことを考える奴は、ずっと前から居たようだ。
奇しくも明治三十二年は新橋駅の近傍に、日本最初のビアホールがオープンした年だった。
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