マーガリンをバターと偽り売り捌く。
馬鹿みたいな話だが、しかしこいつは実際に、明治・大正の日本で、しかも極めて大々的に行われた偽装であった。
マーガリンの価格は当時、バターの半分程度が相場。良心の疼きに目をつむりさえしたならば、双方の類似性を利用しておもしろいほど簡単に利ざやを稼げる仕組みであった。非常に多くの商人が、その遣り口で現に儲けた。
「なあに、どうせ馬鹿舌さげた客どもだ」
「連中に味の区別などつくものか。言われなきゃ一生気付くまい。ならば知らぬが花ってもんよ」
庶民という生き物を、彼らは完全に舐めていた。
この一件を見てみても、滾る金銭欲に比し、所詮お仕着せの公徳心だの善意だのというものが如何にか弱い代物か、特撮映画の軍隊よりもなお一層頼りなく、蹴散らされるのが存在意義の全部であるかがよく分かる。
結局のところ、この種の悪智、不正には、法を以って締め上げてゆくより他にない。
欲望を掣肘するものは、辛うじて恐怖があるのみだ。
農商務省が、主に動いた。
彼ら役人の働きが条文として結晶し、世に云うところの「人造バター取締令」なるカタチで以って世間に公布されたのは、大正三年五月二日のことだった。
ついここまで言いそびれたが、当時はマーガリンのことを、主に、もっぱら、「人造バター」と呼んでいた。
渙発に際し、農商務省畜産課長・湯地彦二により行われた声明を、以下に掲げて置くとする。
「昨今牛豚油及び棉実油等にて製したる所謂人造バターの横行日々甚だしく其価格は乳製バターに比し半額位なるに拘らず悪商人等は真正バターと一見識別し易からざるを奇貨とし需要者を瞞着して以て暴利を貪りつゝあるの状況にて之を黙過せんか需要者として高価に類似品を購入せしむるのみならず幸ひ発展の気運に向ひつゝある乳製バターを衰滅せしむるの恐れあるを以て今回厳に之が取締を励行するに決し本邦製品と外国輸入品とを問はず又邦字を以て明瞭に『人造バター』てふ表示をなさしめ製品の真偽を明白にせしむることゝなりたるなり」
(北海道のバター工場)
湯地彦二は鹿児島士族。
明治の初めに畜産を奨励した第一人者、内務卿大久保利通も、元々は薩摩藩士であった。
たぶん偶然の符号だろうが、それでもそこに何らかの意図というか伝統を見たくなってしまうのは、言葉の力――「薩摩の芋蔓」ありきだろうか。
私も相当、先入観に毒されきっているらしい。
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