目を疑うとはこのことか。
どうしてこんな光景が成立するのか理解できない。
いわゆる人民戦線がフランスの牛耳を
(Wikipediaより、関所)
「国家試験が朝七時から始まるので、遠方に住む受験生は二三人誘ひ合はせタクシーを飛ばす者が多い。赤化して居るある区の大通りで罷業者の一群が軍資金調達の為に不法にも停車を強制し、一人五フランづつ寄附して呉れねば通さぬといふ。十五六の子供がそんな余分な金を持合せるとは限らず、又よしやあったとてもそんな金を取られる筋合のものではないが、場合が場合だからその中の一人が金をやってやっと虎口をのがれたと云ふ」
昭和十三年刊、瀧澤敬一著『続フランス通信』からの抜粋である。
沙汰の限りだ、山賊まがいのクズどもめ。
実際問題、暴力をチラつかせ献金を強要している以上、これでは「寄附」とはとても呼べまい、脅迫である、いいとこヤクザのカツアゲと本質的に変わるまい。
警察は何をやっているのか。嘆かわしい限りでないか。
(サン=ラザール停車場)
交通機関の発達を文明開化の本質と視た――「西洋諸国の文明開化は徳教にも在らず文学にも非ず又理論にも在らざるなり。然ば則ち之を何処に求めて可ならん。余を以て之を見れば其人民交通の便に在りと云はざるを得ず」――福澤諭吉が聞いたなら、やはり、さぞかし、苦い顔をするだろう。
上の一件以外にも、『続フランス通信』中には正気を疑う事件の記述が数多い。
わけてもこれは格別だ。「この春リヨン市で、十歳になる資本家の坊ちゃんが、自転車で赤化地帯にある小学校の門前を通ったところ、同年輩の男女生徒十数名が、『ファシストだ、やっつけろ』とて、引きずり下し、大きな石塊を投げつけ、殺してしまった事件がある。これは政治上の問題となって議会に持ち出され、政府党及び反対党の機関紙は、いたいけな死骸を繞って、見苦しい争論を続けた。…(中略)…警察では数日後に至り、世間の手前下手人全部を捕へて、悪智慧をつける両親から遠ざけ、色々と訊問を続けたが、たうとう有耶無耶になってしまった」。――最高に胸糞悪い気分にさせられる。まるで中世の御伽噺の導入にでもあるような、魔女狩りめいた、そんな次元の沙汰事を、一九三〇年代に突入してなおもまだ、
(フランス各紙)
時代の先駆、科学の
二度と再び斯くの如き連中が、社会の
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