穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

鶴見工場、偉観なり ―時事新報上の日清―


 そのむかし、大日本帝国は一廉の小麦粉輸出国家であった。


 小麦ではない。


 小麦である。

 

 カナダ・アメリカあたりから小麦を仕入れ、国内にて製粉し、袋詰めして輸出する。そういうことで、けっこうな利益を上げていた。

 

 

All-Purpose Flour (4107895947)

Wikipediaより、小麦粉)

 


 当時の記録を紐解くと、昭和二年時点に於いて二百五十万袋を輸出したのが、


 昭和三年には六百五十万袋となり、


 昭和四年には九百十万袋、二年前の四倍弱に到達している。


 春の野原の土筆つくしみたいな、さても目ざましき「伸び方」だった。


 しかし本当に驚くべきは、この輸出小麦粉の七割までが、その実たった一つの工場にて生産され、送り出されていたことだろう。


 その工場とは、すなわち日清製粉鶴見工場。


 需要の爆増した二十一世紀こんにちでさえ、日本国内で消費される全小麦粉の、およそ十分の一を生産している重鎮中の重鎮である。

 

 

(稼働して間もない鶴見工場)

 


 間口四十五間に奥行十五間、高さ百三十尺に及ぶ鉄骨鉄筋コンクリートの八階建てビルディング。


 それが大正十五年操業当初の、鶴見工場の姿であった。


 当時の感覚でこの規模は、偉容と呼ぶに相応しい。経営合理化と海外進出を狙う意志力猛々しき社長、正田貞一郎の肝煎りにて建設された、日清製粉の一大城郭。その内情を『時事新報』が取材したのは、昭和五年のことだった。

 

 

Syouda Teiichirou

Wikipediaより、正田貞一郎)

 


 記者の名前は松村金助。製粉機にしろ、サイロにしろ、ミシンにしろ、鶴見工場は最新技術の塊めいた場所であったが、中でも松村金助がもっとも強く着目したのは、真空利用の穀物吸い上げ装置であった。


 その概要を、彼自身の文章から抜粋すると、

 


 …工場第一階の一隅にはポンプ室があって、そこから太い鉄管が工場の外に出てゐる。この鉄管が岩壁に沿うて数十間も走り、その先端にあるタンク形をしたレシーヴァーの所から更に海面に向けてホースが突出し、それが岩壁に横づけされた本船の船艙に達するやうになってゐる。工場内のポンプが運転するとこの鉄管内が真空となり船艙内の小麦が猛烈な勢ひで吸込まれるやうな仕掛けである。

 


 つまりはニューマチックアンローダーの如きものかと合点がいくことだろう。


 この装置の導入で鶴見工場は他の追随をゆるさない、瞠目すべき回転率を実現させた。


 なんとなれば従来輸入小麦を搬入するには、本船から艀に移し、艀から更に倉庫へ運ばなくてはならないと、とにかく手間と人手を要したからだ。


 更に言うなら、「沖合荷役を急ぐ場合には艀と人夫の調達が間に合わなかったりする。天気晴朗でも浪高ければ荷役が困難だ。況や雨でも降ったらオジャンである」

 

 

(昭和初頭、横浜港の給水船

 


 目切れの問題もある。本船から艀に積み下ろす際、浪やら何やらの関係で海中に没してしまう小麦のことだ。それがだいたい、千俵下ろせば三俵程度の割合で発生していたという。この目切れのぶんにも、関税はしっかりかかってくるからやってられない。塵も積もれば山となる、総計すれば結構な損失に及ぶのだ。


 が、真空穀物吸い上げ機を利用したなら、これら弊害、その悉くを解決できる。


「仮令浪が高かろうが雨が降りませうが、いつ如何なる時でも作業が自由であり、その上目切れは全然ない。一万トン級の船ならば二日で吸上げて了ひ、艀の荷役に比較すれば、殆んど五分の一かそこらの時間である。その結果本船の繋船時間が短く船の回転率が早くなるから、船賃までが安くなる。まさにいいことずくめである。


 実際、あまりに便利すぎるため、オランダなどでは導入計画が持ち上がるや否や、人夫たちによる激烈な反対運動が起こったほどだ。ちょっとしたラダイト運動だった。

 

 

Pecq 051003 (15)

Wikipediaより、艀)

 


 もっともこの抵抗は、負けじと結束してのけた穀物輸入業者によって、あえなく叩き潰されてはいるのだが。


 鶴見工場に据え付けられた吸い上げ機は、そういうありがたい装置を更に、日清独自の工夫を凝らして発展させたものだった。


 その「工夫」たるや、話がちょっと専門的に込み入り過ぎてくるがゆえ、詳細は省かせていただくが、とにかくドイツの技術士さえも唸らせるレベルであったらしい。


 それだから欧米先進各国は争ってここに視察を派遣、「模範工場」として向こうの経済紙にデカデカと紹介されもした。


何ごとを語るにも欧米を引例しなければ夜も日も明けぬ所謂あちら・・・心酔者流よ、乞ふ自ら卑下するのを止めよ。祖国にもこの世界に誇り得るファースト・クラスの施設あることを知れ」。松村金助は、鼻高々に述べている。


「ものづくり大国ニッポン」の萌芽はこの段階でもう既に見えていたというわけだ。

 

 

 

 

 


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