穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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シカゴ夜話 ―屠殺街―


 シカゴは屠殺場の街。


 牛・豚・羊――合衆国にて飼養される家畜類の大半は、鉄道ないし水利によって一旦ここに集められ、食肉に加工された後、再び散って国じゅうの食卓に載せられる。それが二十世紀前半の、日本人の偽らざる認識だった。


 実際問題、そういう景色を一目見たくてこの地を踏んだ観光客も数多い。

 

 

(『ウィッチドッグス』より。2013年のシカゴが舞台)

 


 彼らの残した紀行文を取り纏めると、おおよそ以下のようになる。


 ――まず感じるのは、臭いであった。


 屠殺場の門扉をくぐる一マイルも手前から、もう鼻奥に一種異様な、「死臭」と表現しておく以外に術のない、重い刺激が来るという。


 大正末期――西暦にして一九二五年の段階で、シカゴに於いては一日平均三千六百頭の牛、八千四百五十頭のこうし、一万八百頭の豚、一万三千四百五十頭の羊を捌いていたということだから、むべなるかなであったろう。ほとばしり出る鮮血だけでも、池どころか湖が造れそうな勢いだった。


 シカゴシティで最も古く、最も大規模、且つ最新の機器を備えた屠殺場は、なんといってもスウィフト精肉会社が擁するところのそれ・・である。


 日本人観光客も、いの一番に訪れるのは大抵ここ・・であったとか。

 

 

Gustavus Swift enlarged

Wikipediaより、グスターヴァス・フランクリン・スウィフト)

 


 知名度の高さはそのまま武器だ。会社の方でも観光資源としての己が価値を自覚していて、施設内の一角に「参観申込所」の案内板を態々設置、人員を割り振り、手際よく機能させていた。


 ここで申し込みを済ませれば、やがて外科医のような格好をした案内人がやって来て、愛想よく先導、ときにユーモアを交えつつ、一部始終を見せてくれる寸法である。


 そう、一部始終だ。


 豚でいうなら足を縛られ逆さにされて、自動運搬装置の鎖に引っ掛けられるところから、包み隠さず公開してくれている。


 宙吊りにされ、豚は火のついたように泣きわめく。


 が、機械は冷静に心なく、供給される動力のみに従って、彼を「死」へと連れてゆく。


 作業は完全に分業化が済んでおり、喉を裂くことばかりやる者、皮を剥ぐことばかりやる者、内臓を掻き出してばかりいる者――機能的なこと、まさにフォードの自動車組み立てさながらであり、コレが紛れもない工業・・なのだと百万言を費やすよりも雄弁に見る者すべてに叩き込む。

 

 

 


「職工中、いちばんの高給取りは彼ですよ」


 紫電一閃、歪みのない太刀筋で次から次へと家畜の喉を切り裂いて、返り血塗れで真っ赤になっているやつを案内人は指差して、声を潜めもせずに言う。


「ほとんど社長と同程度の金額を得られるようにしています」


 命を奪うストレスは、ドルの重みで緩和するというわけだ。


 実際これは覿面に効いた。誠意とは言葉でなく金額、万古不易の哲理であろう。戦後に於けるアメリカ史研究の第一人者、中屋健一の定義に依れば、「成功とは金を得ることであり、能率の如何はその人の価値である」ゆえに。

 


「豚が凄惨な悲鳴を上げてから、美麗なレッテルの貼付せられた缶の中に納まるまでに、二十五分とかからなかった」

 


 商工省より派遣されたある技師は、興奮にインクまで火照らせて書き綴ったものだった。

 

 

 


 なお、屠殺場の過剰なまでの集中は、周囲に死臭をたちこめさせる以外にも、意外な効果を生んでいる。


 インスリンの製造に極めて便ということだ。


「家畜の膵臓からインシュリンを取る操作は成程繁雑である。然し又一方家畜の膵臓を原料とすれば、都合のいいこともある。たとへば米国のやうに工業都市であるシカゴに大屠殺場が集り、ここでわが全国に於ける数十倍の家畜が集約的に屠殺されるところでは、インシュリンの抽出を産業的に行ふに足るだけの膵臓を簡単に集めることが出来るし、又屠殺場で屍体のなほ温い中に膵臓をとり、暫くインシュリンが変化しないやうに固定した後、工場に持ち帰り直ちに抽出することの出来るといふ便利もある。原料の新鮮といふことが、インシュリン抽出の重要条件の一つである以上、このことは高く買はれなければならない」――以上は例の理学博士、「五六〇万トンの行方」を説いた者、右田正男に由る知識。

 

 

Insulincrystals

Wikipediaより、結晶化したインスリン

 

 

 代用食の研究に余念のないこの人は、日米関係の悪化に伴い、それまで輸入一途であったインスリン国産化――魚類から必要充分量を製造する手はないものか――にも、ずいぶん脳を酷使した。


 それがどれほど実を結んだかは、しかし生憎、定かではない。

 

 

 

 

 


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