穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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猛獣小話 ―百獣の王の称号は―


 豹は軽躁、獅子は泰然、虎は両者の中間あたり。


 上野動物園の常連客、長與善郎が多年に亘る観察の末、ついに会得した智識であった。


 古今を通じて動物園の花形たるを失わぬ猛獣三者。同じネコ科に属していながら、しかし性格の面に於いてはずいぶんな差異があるようで。それがいちばん顕著にあらわれるのは、「やはりめし時こそである」と、この白樺派著作家は言う。


 試みに、彼らの檻にウサギ肉を投げ込んでみよ。


 豹は途端に騒ぎだす。それも当のウサギ肉はそっちのけにして、まずは檻の周囲に群がる人間どもへ威嚇を行う。

 

 

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 なんだてめえら、俺の肉を横取りする気か、上等じゃねえかやれるもんならやってみやがれ、伸ばしたその腕、すかさず千切って追加の一品にしてやらアと言わんばかりに。「鉄柵に飛びつき、獅咬みつき、猛り狂って人を威嚇する様は、実に浅間しいほどの疑ひ深さで、耳は怒れる猫のやうに背後へぺたりと折れ返り、顔中が爛々たる眼と口ばかりになり、体の格好までが弱い癖に兇悪な犬の狂ってゐる時のやうな醜い姿になる」。(昭和九年『自然とともに』24~25頁)

 
 この狂騒が少なくとも十分は続くというから大変だ。見応えはあるが、それ以上に圧倒されて辟易する思いがしよう。


 もまた、いきなり肉に喰いつかず、まず人間への牽制に努める。


 ただしこちらは豹に較べてよほどあっさりしたもので、劈頭一番、腹の底から地響きするような咆哮を浴びせて、それで終いだ。鉄柵を揺らしも咬みつきもしない。能事足れりと言わんばかりに肉を咥えて隅の方まで持ってゆき、後は静かに、ゆっくり味わう。

 

 

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 これが獅子の場合になると、流石は百獣の王というべきか。はじめから人間如き相手にもしない。眼中あってなきが如し、敵と看做していないのだ。ちょうどヘビー級プロボクサーが、幼稚園児の集団を脅威と看做さないように。


 だから吼える必要も、隅まで運ぶ手間も挟まず、「只まっしぐらにのそっと餌に躍りかかって抱きかゝへ、嬉しそうに尻っ尾で床を叩きながら齧り出すのである。(中略)踞んだ獅子が兎を大事さうに両前肢の間にかゝへて顔をこすりつけるやうにして啖ってゐる様は一種美事でさへある」(25~26頁)。


 愛嬌あり、威厳あり。やはり王の称号は、ライオンにこそ相応しい。

 

 

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 以上の如き長與善郎の観察は、上野動物園に奉職すること四十年、当施設の名物男・黒川義太郎の所見ともだいたいに於いて一致する。

 


…子供がそろそろ肉類を喰べるやうになった時、肉類や牛乳を与へますと、獅子の母親は子供に先へ飲食させてから残った分を後から喰べますが、豹の母親はこれと反対で、飲食物を与へられると、母親の方が先に飲食をする。若しも子供が母親の傍へ寄って、その一部分を喰べようとすると、母親は歯を剥き出して、子供を威嚇します、(『動物談叢』128頁)

 


 この人はこの人で豹のことを「オッチョコチョイ」とか「動物の中でも一番始末の悪い奴」とか、なかなか辛辣な筆ぶりで、彼ら固有の性質軽躁さにさんざ手古摺らされたのだろうと苦労の跡が見てとれる。

 

 

 

 

 


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