穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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上野の森の獣たち


 戦時中、三重県の一部地域では、イナゴを乾かし砕いたモノを鰹節がわりに使用していた。


 なかなか悪くない発想である。


 栄養価の高さに反して昆虫食が忌み嫌われる第一は、とにかくあの形状の気持ち悪さにあるだろう。棘だらけの節足や奇怪なまでに長く伸びた触角をみて、どうして唾が湧いてくる? 奴らの複眼を直視したなら肌は粟立ち胃が縮む、実に当然の反応だ。よほど意志力を掻き立てなければ、口に放り込む気にはなれない。


 だから原型を跡形もなくして、一見なんの粉末か容易に判別できなくするとのやり方は、如上の生理的嫌悪を緩和するのに確かに効果的だろう。現に「イナゴふりかけ」は2021年現在方々に於いて商品化され、一定の好評を博してもいる。

 

 

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 まあ、それはいい。


 戦争の長期化に伴って、当然起こる物資の欠乏。代用食暮らしを強いられたのは、独り人間ばかりではない。


 猛獣どもも同様だった。


 上野動物園で飼育員をやっていた、某氏の談話を次に引く。

 


…暑くなると、公園の樹木も、街路樹も緑深くなりますが、御承知の通り剪定して樹姿をとゝのへます。この伐り落された枝の葉は、乾草の代用となって、動物の大切な飼料となります。象や河馬のやうな大きなものも、相当この代用食を食ってゐますが、なかなか元気です。
 獅子の主食は馬肉と生兎なのですが、これも決戦下の国策に従って、主として鯨肉ですますことにしてゐます。生兎は骨ぐるみ食べて、カルシューム分をとるわけですが、代用食として鶏の頭を与へてゐます。以前は牛乳なども飲ませたものですが、これは止めにしました。(昭和十九年、氷見七郎著『戦ふ緑地』202頁)

 

 

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イヌイット捕鯨

 


「戦争」上野動物園。この二つを並べられると、現代人の大半がほとんど反射の素早さで、かわいそうなぞうを想起する。


 昭和十八年八月十六日、東京都長官大達茂雄の名の下に発せられた全猛獣の殺処分令。ショッキングなその土壇場へ至るまでの点景として、上の口述は興味深い。


 なお、同書には殺処分それ自体についての記載も多少ある。


 こころみに一部抜き出すと、

 


…猛獣の屍体は軍馬の動物学上の位置と比較解剖学的に研究するため、陸軍獣医学校で解剖することゝなった。
 猛獣類の解剖はこれまでにもあったが、今度のやうに獅子、虎、豹、熊、それに大物の象まで加へて、一時に十三頭も解剖するのは例のないことで、病理学教室のI獣医少佐がその主任となり、幾多の貴重な成績を残した。(215~216頁)

 

 

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 第一次世界大戦の期間を通して、飼育していた動物のほとんどすべてが喰い尽くされた施設の話は、以前書かせてもらったと思う。


 帝政ドイツはハンブルグハーゲンベック動物園にまつわる話だ。

 

 言わでもなことだが、喰い尽くしたのは餓えに苦しむ現地住民たちである。


 規模と内容の両面で「世界一」を自任していたかつての栄華は何処へやら。広い広い敷地の中に残っていたのはたった三頭の猿のみと、現地を歩いた大阪商工会議所会頭・稲畑勝太郎が戦慄と共に報告している。


 これが敗戦国の悲哀なのだと。

 

 

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(上野公園 小松宮彰仁親王銅像

 

 

 最後の最後、学術目的を与えられ、剥製として形を留められただけ、上野の森の獣たちは幸福だったか? 

 

 いや待てよ、これはあまりに人間本位に過ぎる物言いではないか? 

 

 そもそもからして、このような比較自体が烏滸であったか?


 思考は連鎖し、とめどなく、未だ尽きることろを知らない。

 

 

 

 

 

 

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