穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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天国への直行便 ―エンプレス・オブ・ジャパン号の遭難―

 

 沈没する船の中。日本人は笑顔で酒を酌み交わし、大いに埒を明けていた。


 明治三十三年十一月五日の深夜、北緯五十度を上回る、冷え冷えとした北太平洋での一幕である。

 

 

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 船の名前はエンプレス・オブ・ジャパン号。ヴィクトリアの港から、日本へ向けて太平洋航路を進むカナダ・メール社の豪華客船。それがふとした天意と人為――不運と不注意の重なりにより、洋上での衝突事故を起こしてしまい、事態は急変。その航程は、どうやら天国への直行便となりそうだった。


(なんということだ)


 この船には、日本人も少なからず乗っている。


 その中に、松波仁一郎の名もあった。


 東京帝国大学教授、海軍大学教官にして海軍省の法律顧問を務める彼だ。洋上での衝突事故に関しては、並外れた知見を有する。


 その知識が語るのだ、


(とても、助からぬ)


 と。


 季節は既に冬近く、風の冷たさは骨を噛むという表現が、まったく誇張にあたらないほど酷烈である。海水温もまた然り。不用意に飛び込もうものならば、心臓がショックに耐えられず、急停止してとどのつまりは土左衛門と化す以外にないだろう。


(ならばこんな浮袋など、身に着けたところで何になる)


 ――どうせ死ぬなら、余計な窮屈はしたくない。


 そう判断して救命胴衣に触れもせず、一歩一歩、確かな足取りで甲板に出た。

 

 

US-Lifevest

 (Wikipediaより、第二次世界大戦中、米軍使用の救命胴衣)

 


(ほう)


 と、松波が感じ入ったのは、自分以外の日本人がことごとく、やはり普段着一丁のまま、泣きも喚きも怒りもせずに、恰も局外に居るかの如く、悠然と澄まし込んでいたことである。


 会話に耳を澄ましてみれば、


「エライ事になったねえ」
「うん、とうとうやったなあ」
「君、浮袋はどうした」
「僕よりも君はどうした」
「そんなものを着けたってどうせ駄目だから止した」
「御同様だ」


 と、まことに暢気なものだった。


(日本人は、どこか神経が鈍いんじゃないか)


 我と我が身を棚に上げ、そう思わざるを得なかった。


 邦人の松波にして既に然り。


 況や西洋人に於いてをや。


 この光景がどれほど奇異に感ぜられたか、想像するに難くない。

 


 西洋人はと見ると、英米仏独人等皆々浮袋をつけてソハソハして居る。然るに日本人丈が一ヶ所に寄合って、落ち着いて居るから西洋人等は我等を眇視して馬鹿と思ったらしい。日本人は馬鹿だね、今自分の船の沈むのが判らないのか、日本人は命が惜しくないのかと思ったらしい、さう思ったと見えて、冷静に談話を交換しつゝある我々を、或は不思議の眼を以って、或は憐憫の眼を以って又或は軽蔑の眼を以って眺めつゝデッキを往来し、乗組船員亦然りである。(昭和十六年『馬の骨』204頁)

 

 

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 共に死にゆく者同士という境遇が、心の隔壁を融かすのに大なる効果を発揮したろう。


 思いもかけず運命共同体となった日本人らは急速に結合を強め合い、


「こんなところに立って居ても仕方ない、寒いばかりで、第一他人ひとの邪魔になるじゃあないか」


 と誰かが言うと、そうだそうだとたちまち呼応、こぞって下の図書室に戻ってしまったから大変だ。


 群集心理の恐ろしさを如実に示す、格好の例であるかもしれない。

 


 気の利いた者はバーへ行って、キュラソーベルモット、紅白の葡萄酒、其他の飲物を沢山持って来た。無論悉く無断で、然り而して全然ロハだ。何れも好きな酒をフンダンに呑む。死ぬ前だからサンザンれといふ意識は多少あったかも知れぬが、マツゴの水なぞと思ふ、ケチ臭い心を持って居る者は一人もない。面白い身の上話を肴として飲るのだから酒は進む、酒は進むから話は益々面白くなる。(208頁)

 

 

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 この宴会場で松波は、


「松波さんは英国で、船舶の衝突法を研究し、軍艦商船衝突論を書いてヴィクトリア女王やドイツのカイザー・ヴィルヘルム、ロシアのニコライ皇帝に献上されたということですから、今ここでご自分が衝突で死ねば本望でしょう」


 斯くの如き、とんでもない揶揄からかわれ方をされている。


「なんぼ衝突論を書いたからって、今衝突で死ぬのは本望じゃねえよ」


 苦笑して答えるより他になかった。


「考えてもみろ、この松波、蛍雪の功を積みて学漸く成り、これから帰ってその蘊蓄の深いところを日本中に拡げようって場面だぜ。その間際に海底の藻屑となる運命は、まあ残念である、実は吾輩死にたくないのだ。――中村君、君はどうだね」


 と、松波は素早く話を振った。


 鉾先を転ぜられたのは、気象学者の中村精男。


 後の中央気象台台長は厳かに頷き、


「僕も今死にたくはないのだ、実は本国の妻の病気がだんだん悪くなっている、生前せめて一目でも会いたいと言うので特にこの快速船ジャパン号を選んだのが悪かったね、大病の妻より僕の方が一足先に逝くことになるから皮肉だよ」


 と、悲惨とも滑稽ともつかないことを喋り通した。

 

 

Late Mr. Kiyoo Nakamura, former director of the Tokyo Physics School

 (Wikipediaより、中村精男)

 


 結局、誰も彼もが無念でたまらなかったのである。こんなものが人生の結末であって欲しくはなかったのだ。にも拘らず神や運命を呪詛したり、自己憐憫の涙に暮れる手合いというのがただの一人も出現あらわれず、あくまで渇いた諦観が場を支配していたということは、確かに驚異とするに足ろう。


「死にたくない」感情を、「しかし到底、どうにもならぬ」と理性で抑えきったのだ。これが勇気でなくてなんであろう。獣から最も離れた行いとして、賞讃されるべきではないか。


 なお、エンプレス・オブ・ジャパン号の沈没は、船員たちの必死の働きの甲斐あって中途で停止。


「浸水は第三船艙の隔壁でい止めました。しかしこのまま日本へは行けませんから、一旦ヴィクトリア港へ引き返すことに致します。皆様そのおつもりで……」


 との報せがボーイによって齎されるや、一同盃を高々と揚げ、「先きとは違ふ意義の酒を飲んだ」ということである。

 

 

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