鶴見祐輔在籍当時の東京帝大弁論部では、屡々
字面が示すそのままに、極めて少人数を対象とした演説である。
しかしながら会場は普段同様、講堂を――ゆうに千人でも収容可能な広間を使う。
聴衆役は空間を贅沢に使用して、決してひとかたまりにはならず、ぽつりぽつりと点在するよう着座する。これは群集心理の発生を大いに妨げ、演者に窒息に等しい苦しみを与える。
このあたりの消息は、松波仁一郎に於いて詳しい。鶴見と同じく「官吏畑」と通称された東京帝大法科大学出身で、やはり弁論部に属し、部長としての経歴すら持つ彼の著書から引用しよう。
数千数百の聴衆満堂溢るる時の演説も六ヶ敷いが、而も心に張りを生ずるから思ふよりも容易だ、群がる大衆を前に意気軒高、闘志盛んに湧出するから、弁自ら生気を潮来し弁舌は自然滔々となる。然るに之に反し数千の大衆を入るる大会堂、聴く者僅かに十人といふときは全く馬鹿気て演説が出来ない、しかし夫れを忍んで演る所に偉いところがある(昭和十六年『馬の骨』44頁)
(松波夫妻)
松波曰く、閑孤演説はより実戦を見据えた活動だった。
政敵の演説会場に自党の分子を送り込み、幕が上がる直前に一斉にこれを引き揚げせしめ、以って冷や水をぶっかけるという妨害手段は明治三十年代半ばで既に確立されきっており、これを仕掛けられたが最後、「優秀」程度の弁士では「呆然として為す所を知らざる如くなる」のが普通であった。
単純で、手間もかからず、効果的。
これが流行らぬわけがない。先ごろ行われた合衆国大統領選でも、似たような騒ぎがあったと思う。オクラホマ州タルサを舞台に上演された一件である。
トランプ氏側が予定していた選挙集会に予約が殺到、参加者百万人超えは確実とばかり見込まれていたのが、いざ蓋を開けてみればどうであろう、会場の三分の一が空席という椿事が起きた。
結構な騒ぎとして日本でも報道されたが、原理自体はなんてことない、昔からあるごくありふれた手法に過ぎない。野次と合わせて、民主政治の伝統とすら言っていい。
が、多用されるということは、対抗手段の生れる余地もどんどん拡がることでもあろう。
東京帝大弁論部は、その逸早い顕れだった。
最も極端な例を挙げれば、たった二人の聴き手を相手に「堂々たる大演説」をやり遂げるよう強いられた部員さえ居たという。
「艱難汝を玉にす」を地で行くような学風だった。こういう切磋琢磨の情景は、見ていて割と快い。
弁論部からは鶴見祐輔以外にも、芦田均・中島弥団次・青木得三・守屋栄夫といった名うての大官が数多出た。
学生時代の彼らの評価を最後に添えて、本日の締めとさせてもらおう。
弁論会の終った後、部長、副部長、出席教授等は弁士を批評し、今日の中島の演り方は少々セキ込んだ、以後はもっと悠然と、青木得三は美辞麗句を重ね過ぎ却て所説の効果を薄くした、美辞も多きに過ぐるに於て却て逆効果を生ずる、守屋栄夫は落着いて居るが、陰に過ぎて耶蘇の説教じみる、鶴見は能弁だが軽きに失すモット荘重に、なぞと評するのだ、夫れなら教授先生自身立派な演説がやれるかと言へばそれはやれないが、其処は教授と学生だ、教授が立派な演説が出来るかどうかは別問として、教授の批評は学生我慢して之を拝聴せねばならぬ。(44~45頁)
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