穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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主人格の消滅 ―フェリダ婦人の場合―

 

 解離性同一性障害――多重人格の症例にも色々あるが、19世紀に確認された、フェリダ婦人の身の上に起きた現象は、なかなか珍しいのではなかろうか。


 最初にそれが起きたのは、彼女がまだ14歳、少女の身空であったころ。フェリダ婦人は生来頭の回転の非常に速い性質で、恵まれた環境ゆえに水準以上の教育も受け、その天分を大いに伸ばすことが出来ていたが、しかし反面、物に感じやすすぎるという欠点もあった。


 有り体に言えば、ひどいヒステリー気質だったのである。


 何でもないようなことにもすぐ鬱屈して己の殻に閉じ篭る。その殻の内側から眺めてみると、この世には一切の希望がなく自分の将来にもただただ暗黒ばかりが待ち受けているように感ぜられ、ともすれば生きているのをやめたくなるのも屡々で、そんな負の妄想の堆積がいつしか慢性的な偏頭痛をも招来し、13歳を迎えるころには悩乱のあまり喀血したことさえあったという。


 重症といっていい。


 医者も牧師も両親も、彼女のこの憂鬱症を如何ともする能わず。


 転機は、彼女が特に得意とする裁縫中に訪れた。

 

 

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 その日、14歳とは思えぬほどに慣れた手つきで編み物をしていたフェリダ嬢は、しかし急な眠気に襲われて、それ以上作業を続けるのが不可能になった。


 やむなく安楽椅子に身体を委ね、襲い来る睡魔に全面降伏。たちどころに舟をこぎはじめた彼女だったが、その眠りはわずか数分で終了することとなる。

 


 もっとも、彼女の主観からすれば別であろうが。再び瞼を開けたとき、彼女の中身は既に入れ替わっていた。

 


 先ほどまでの憂鬱症で気難しい少女から、快活で細かいことを気にしない、積極的な人柄へ。しかし日々の稽古事や課題をこなす腕前は些かの遜色もなきゆえに、最初は家人の誰一人としてその正体に気が付かなかった。


 発覚は数日後に、またもやあの急な睡魔にフェリダが襲われたことによる。やはり数分間の昏睡を経た後、再び目覚めた彼女の心は、元のメランコリックな少女のそれに立ち返っていた。


 しかも彼女は、快活だった頃の「自分自身」の振る舞いを、何一つとして憶えてなかった。それゆえ目覚めて早々、ひどい混乱に襲われたとのことである。


 この不可思議なる現象は一度で終らず、その後幾度となく連続してゆくことになる。


 輪をかけて興味深いのは、生来の「フェリダ」は自分の人格が引っ込んでいる間の出来事を何一つとして知らないが、新たに生まれた陽気な「フェリダ」の方はというとまるでそんなことはなく、彼女の肉体が経験した出来事、その総ての完全なる記憶を保有していたことであろう。

 

 

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 ゆえに、こんな椿事も起きた。思春期に突入したフェリダはある時を境に特定の男子を自分の家に屡々連れ込むようになり、その内にただならぬ仲となって、とうとう懐妊に至るのであるが、そうした交渉の悉くは、総て第二人格――以後、新たに発生した陽気な「フェリダ」をこのように呼ぶ――の主導のもとに行われたことだった。


 第一人格のフェリダときたら妊娠どころか自分が処女を失ったことさえてんで無自覚な有り様であり、家人もどう説明すればいいものか、方途を見失ったのだろう、滑稽とも悲惨ともつかないこの状態を保持する以外に術がなかった。


 第一人格が己の現状――自分の胎内には、自分以外の生命が既に宿っている、という――を正しく理解したきっかけは、隣人の不用意な一言による。その結果彼女を襲ったヒステリーはかつてなく強烈な代物で、全身を激しく波打たせ、口からは白い泡が噴きこぼれたほどである。


 一歩間違えば、流産の危険性とてあったろう。

 


 記憶に関する優越性は、やがてそのまま肉体の主導権に反映された。

 

 

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 最初のうちフェリダの人格変換は、第一人格にある方が長くて第二人格の表出はごくごく短時間に限られていたが、段々と第二人格の時間が増え、27歳に至る頃には、これがほとんど拮抗するようになっていた。


 しかもおそるべきは、それで終らなかったことである。


 拮抗したと見えたも束の間、今度はどんどん第一人格表出の間が細まってゆき、むしろ第二人格に在るのが普通になっていったのだ。


 新たに生まれた人格が、元々の人格を呑み込んでしまう。消される方にしてみれば、それはいったい、どれほどの恐怖か。


 左様、消される。


 フェリダ婦人の第一人格は39歳を区切りとし、以後一度も出現することはなくなった。


 彼女はまったく第二人格のみの人となってしまって、前述の男性を夫に迎え、二人の子宝にも恵まれて、生涯朗らかに暮らしたという。

 

 

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 本人や家族にしてみれば、紛れもないハッピーエンドだったに違いない。
 だが、第三者目線からこれを眺めたときにこみ上げてくる、名状し難い後味の悪さはなんであろうか?


 島秀雄の伝説的なホラーゲーム、『P.T.』に於いてはその冒頭に、以下のようなメッセージが示される。

 


Watch out. The gap in the door... it's a separate reality. The only me is me. Are you sure the only you is you?

 


「気を付けろ そのドアの隙間は 分断された現実 (セパレート・リアリティ) だ」「俺なのは俺だけだ お前なのはお前だけか?」


 フェリダ婦人について考えた場合、どういうわけか私はいつも、このフレーズのリフレインが止まらなくなる。

 

 

 

 

 


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