インド亜大陸を支配下に置いた大英帝国の人々は、この地に蔓延るとある特異な風習を目の当たりにして、
「インドという国は、
頭を左右に振りながら、そのように慨嘆したという。
特異な風習とは、すなわち早婚のことを指す。
世界広しといえど、かつてのインドほど女性の平均結婚年齢が低い国というのは、あるいは絶無ではなかろうか。なにしろ1911年の調査記録を紐解けば、五歳以下の妻の数の合計が302425人と、思わず目を疑いたくなる結果が出ている。
しかもその内、既に夫に先立たれ、所謂未亡人になっているのが17703人。この17703人はこれから一生、再婚するを許されず、顔を憶えているかどうかも怪しい夫のために操を立てて、その霊魂の安らかなるを祈り続けねばならないのである。
「彼女をして単に草根果実によって生活し、その身を衰えしめよ。而して他の男子の名を唱えしむるなかれ。夫の死後、誠心を以って辛酸を嘗め、苦行する有徳の妻は天に昇らんこと疑いなし。されども再婚して夫を恥かしむる者は、汚辱をその身に招き、夫の天上の座より除外せられん」
ヒンドゥー教徒にとっての聖典、『マヌ法典』に記されている一節である。
苦行の無意味さを熱弁した仏祖釈迦牟尼のありがたさが、しみじみ感ぜられはすまいか。
支那の儒教は「男女七歳にして席を同じゅうせず」と説いたが、インドに於いてはそれどころの騒ぎではなく、七つにもなって未だ結婚相手が見つかっていない女子などは、一族一家の重大なる危機として、旦那探しに父母を狂奔させるに足るものだった。
もし娘が未婚のまま成長し続け、初潮を迎えるような事態に至れば、その一家は社会に対して重罪を犯したと看做されて、ありとあらゆる侮辱に塗れなければならなくなるのだ。
当然、親類縁者からも絶縁されて、新たに交遊する者もいなくなる。日本の村社会に於ける「村八分」に似ているが、インドの方がより悪質であったろう。
なにせ、法律を盾にしている。
ここでヤージュニャヴァルキヤ法典の名を出さねばなるまい。宗教的権威にかけてはマヌ法典と並び立つ、聖仙ヤージュニャヴァルキヤの著作として仮託された本書には、
「女子を嫁がしめずして月経を見る時は、その罪は保護者に在り」
と、はっきりその旨定めてあるのだ。
(Wikipediaより、サラスヴァティーとヤージュニャヴァルキヤ)
裏を返せば、女児を設けた両親は、その子が初潮を迎えるまでに結婚させねば自動的に罪人になる、ということだろう。
五歳以下の人妻が三十万人を超えたとしても無理はない。また、ヤージュニャヴァルキヤ法典からやや下って現れたパラサラという法制家は何を思ってかこの部分を更に強化し、
「女子月経の出づる時、猶ほ未婚者なる時はその父母兄弟地獄に堕ちん。バラモンにして斯くの如き女を娶らば、彼はスードラの女の夫となりたるも同じく、何人も彼と交際すべからず」
徹底的に激語している。
まったくインドの女性蔑視は、日本などの比ではない。
ただ結婚しなかったというだけでこれほどの罪業を背負わされるなど、どう考えても割に合わぬではないか。
生まれて早々、「後の禍根」と判断されて殺される――「間引き」に遭った女児の数も、統計すれば相当数に上るという。
なお、パラサラの名はその後のインド社会に於いて聖賢として讃えられ、ながらく尊崇の的だった。
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