コナン・ドイルとシャーロック・ホームズがいい例だ。
作家にとって「描きたいもの」と、彼に対して世間が「求めているもの」と、両者は屡々喰い違う。そこに悲劇の
彼は「夢二式美人」なぞ、創造したくはなかったのだ。なかったらしいということが、死後息子により暴かれている。
「『人生は一度つまづくと後から後からつまづかねばならない、そんな人はさういふ痼疾を持って生れて来たのだから』と生前の父は云ってゐましたが、父は多分私生活に於ける第一の結婚(即ち僕の母です)を誤ってからは次ぎ次ぎに破綻しつゞけ、画にしても父の描きたかったのは決してあんなセンチな『夢二式』のものではなかったらしいですね」
長男・竹久虹之助の認識だった。
(竹久夢二 『雪の夜の伝説』)
「人生は一度つまづくと後から後からつまづかねばならない、そんな人はさういふ痼疾を持って生れて来たのだから」――重いセリフだ、胃の腑にずしんとのしかかる。
一度レールを外れると容易に復帰が叶わない現代社会に生存する我等には、めっぽう響く
レールの上の人生と嘲笑うのは簡単だ。しかしその前に五秒でも、レールを敷いた者の苦労を慮るべきである。
竹久夢二の人生は、不如意の連続だったのか?
若しまた然りとするならばいったい何を慰めに、その苦しみに耐えたのか。果たして彼の行路へと、差し込む光はあったのか。
再び虹之助に聞こう。
「父は生前東北の――殊に山が好きでしてね、東北といふとあの尻の重い父がスグに乗り気になるから妙でしたよ…」
東北か。あっちはそろそろ紅葉の見頃になる時期か。
ああ、これはまた、秋の夜長に想うには、好適な人であるようだ。
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