穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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畦畔道話

 

 大正十二年十月七日、『東京朝日』の夕刊に、こんな記事が載せられた。


 甲州御嶽の神官、発狂。刀を抜いて滅多矢鱈に振り回し、流血の惨事を具現せり。


 その動機に関しては、べつに秘密の儀式に失敗し、よくないモノに取り憑かれたとか、そういう神秘的要素は一切含まぬ。


 ただ単純に、一ヶ月前日本を襲った未曾有の災禍、関東大震災の影響で、今年の納入金が見込めなくなっただけのこと。


 よりにもよって、神に仕える人間が。


 混じりっ気のない物欲そのもの、俗心100%の理由によって。


 その精神を千々に砕かれ、かかる自爆的凶行に及んだのである。


 末世としかいいようがない。


 我が故郷ながら山梨県には、どうもこういう宗教上の汚点が多い印象だ。

 

 

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 上九一色村サティアンは言うに及ばず、丸山照雄を生み出したのもなかなかひどい。


 身延山宝聚院麓坊第46世住職の身でありながら、同時に強烈なアカのシンパだった人物で、公害企業の経営陣を呪殺すると宣言し、あやしげな団を興すなど、その言行は胡乱を極めた。


 挙句の果てに、あさま山荘事件に際して取った態度はどうであろう。頼まれもせぬのに現地に駈けつけ、連合赤軍銃撃戦線断固支持」と大書されたビラを撒き、「山狩り警官射殺を目論む、威嚇でなくて本当だ、警視庁から狙撃班五十人を集めた」などと事実無根のアジを飛ばすに至っては、もはや完全に言外の沙汰。前後の見境も消え果てたと判断するより他にない。


 警察の銃は悪魔の武器で、赤軍の銃は天の祝福を授かった聖遺物とでもほざくのか。


ソ連の核はきれいな核と破廉恥きわまる牽強付会を敢えてした、左巻きらしい面の皮の厚さであった。

 

 

NDL-DC 2586550-15 Kawase Hasui S0509 crd

 (Wikipediaより、川瀬巴水身延山久遠寺』)

 


 ここまで書いて、気分の落ち込みを如何ともし難くなってきた。


 今日の梅雨空さながらに、暗雲が胸に垂れ込める。


 これはいけない。


 ひとつ道話でも差し挟み、清涼剤に具してみよう。


 道話といってもその出典はしゃちほこばった修養書でもなんでもない。


 中興館から昭和九年に出版された、『経済地域に関する諸問題の研究』という、歴々たる学術書の一節だ。

 

 

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 ためにする・・・・・べく編まれた話でないだけに、その味わいは嫌味の少ない素朴な質で、口当たりも爽やかだ。潜在する教訓を引き出すのにもさして手間はかかるまい。

 


 曾つて某県に於いて、田の畦畔に植ゑてある木(ハザ)が、その蔭の為に稲の収穫率を減少するといふ理由で、これを採伐させたことがあった。然るにその結果、農業者は稲を乾燥するのに特別に木材を運んで、枠を造らなければならないので、手間と費用を要し、又夏季炎天下で仕事をする場合に、休息の場所がなくなったので、傘を立てて、日覆を設けなければならなくなった。ところが其の地方は、午前と午後とで風の方向が異なり、又其の風が相当に強いから、その傘や日覆の保存が悪く、度々取換へなければならなかった。かやうに色々な点から、不利と不便とを招いて、結局、木陰によって稲の収穫が減少するといふ損失などは、到底比べ物にならないことを後で感じて、再びそこに若木を植付けたといふ例さへある。(43~44頁)

 

 

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(武蔵野のとある農村風景)

 


 同書はまた、女児が生まれるとすぐ桐の苗木を植え付ける、埼玉県忍地方の古俗についても触れている。


 こうしておけば、その女の子が結婚する頃、ちょうどその桐もたくましく成長を遂げていて、箪笥や長持に代表される嫁入り道具を設えるのに具合よしだと。


 この話も悪くない。ひどく粋な味がする。お蔭で気分が、いくらか晴れた。

 

 

 

 

 


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夢路紀行抄 ―粉々に―


 夢を見た。


 砕け散った夢である。


 まず、私の身長が一気に15㎝以上も伸びて、196㎝になっていた。


 後から思い合わせると、この数字の出どころはサントリー缶チューハイに屡々プリントされている-196℃とみて相違ない。

 

 

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 常日頃、何に興味を惹かれているか、透けて見えようというものだ。


 が、最中に在ってはそんな考えは微塵も浮かばず。


 座布団を枕に寝転んで、測定結果の書かれた紙を仰ぎつつ、至って無邪気に喜んでいた。


 すると頭上からコツコツと、控えめなノックの音が聞こえる。


 見れば愛想笑いを張り付けた押し売りの顔が、窓の向こうに浮いていた。


 家の外壁をよじ登り、遥々ここまで来たらしい。


 努力に免じ、中へ招じ入れてやる。彼はさっそく鞄を下ろし、商品の陳列をしはじめた。


 とんでもなく時代遅れなパッケージデザインの粉せっけんとか、2リットルサイズの漂白剤とか、とにかくそういう水回りの清掃用品が多かったように思われる。私はいったい、何をそんなに洗い流したがっているのか。

 

 

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 いぶかしがる暇もなく、景色ががらりと変化した。


 部屋も商人も春の霞の如く消え去り、ごみごみした、灰色っぽい駅の構内出現あらわれる。急に下腹部に焼けつくような疼きを覚え、いたたまれずにトイレを求めて駆けずり廻った。


 駅ならば、当然併設されているはずだろう。


 やがて見つけた。


 駈け込んで、しかしはたと当惑させられる。小便器が一つもない。すべて個室のみである。


(あっ)


 紫電が背筋を遡上する。気がついたのだ。そうだとも、この事態を解く鍵は一つしかない。

 

 どういう感覚の狂いに依ってか知らないが、私が足を踏み入れたのは女子トイレの方だったのだ。


(なんということだ)


 慄然として引き返そうとしたものの、しかし時すでに遅しであった。


 個室の扉の一つが開き、利用者がすっと顔を出す。


 目が合った。


 そのあたりの空気が急に、ひどく硬くて冷たい「何か」に変わったような感がした。


 四方三里に響かんばかりの金切り声が、その「何か」に亀裂を刻み、ガラスの如く砕き散らせる――さも劇的な、そんな光景さえ幻視する。本当に粉々になったのは、私の人生そのものだろうに。

 

 

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 目覚めてから「夢でよかった」と胸をなでおろした例は幾度もあるが、今度のはわけても最上級だ。


 ああ本当に、夢でよかった。

 

 

 

 

 

 
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釣り銭小話 ―ボリビア国の紙幣事情―


 五千円の買い物をして、一万円札で支払った。


 釣りの五千円を貰わねばならない。

 

 小学生でも即答可能な道理であろう。


 ところが店員の態度は奇妙で、こちらの出した万札を二つ折りにし、 二度三度と折り目をなぞってばかりいる。

 

 

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(こいつ、何のまじないだ)


 催促の意を籠め、怪訝な眼差しを向けてはみたが、効果はぜんぜん皆無であった。


 遮眼帯を装備された馬のようにひたすらに、店員は自己の作業に没頭している。


(或いはそのふり・・をして)


 余所者のおれを心中密かに嘲弄しているのでは――と、黒い考えが鎌首を擡げた、その刹那。


 びりびりと、乾いた音が店員の手元から響きはじめた。


 紙を破る音に似ていた。


 否、「似ている」ではない、そのものである。


 両端にかけられた力に従い、万札が、折り目を境に真っ二つに引き裂かれつつあったのだ。


 ――おいっ。


 と、一声上げて制止するべきだったろう。


 が、店員の動きはあまりに素早く、なにより無造作であり過ぎた。有り体に言えば、つけ入るべき隙がなかった。


 瞬く間に紙幣は二枚に分割されて、無惨な姿を卓上に晒す。その片方をつまみ上げ、


「はいお釣り、五千円になります」

 

 これまた何の気負いも感ぜられない、ごくさりげない声色で、ぬけぬけと告げてのける店員だった。……


 以上は別に、昨夜の夢の内容ではない。


 明治四十年、ボリビアのとある書店にて。野田良治の身の上に現実に起きた出来事である。

 

 

B6 LA PAZ

 (Wikipediaより、ボリビア首都ラパスの眺め)

 


 理解を早める目的で、通貨単位のみ現代式に改めさせていただいた。


 半分になった紙幣を渡され、当然野田は詰め寄ったという。こんなもので、いったいどうしろと言うのかと。


 それに対する先方の答えはこう・・である。へっへへへへへ、旦那、心配ご無用でさあ、この国じゃあみんなやってることですぜ。……

 


 半截した紙幣は、十円のものは五円、五円のものは二円五銭と、完全なものゝ額面の半額に通用すること請合ひです。しかし一旦半截したものを更に二つに裂いたら、それは通用しません。御覧の通り番号は斜に相対する二隅だけに印刷してありますから、二つ切りにしたときはその一つ々々に番号が保存されますが、今度それを改めて半截すれば、番号のないのが出来るでせう。だから四つ切にすれば通用しませんから御注意なさい。(『らてん・あめりか叢談』131頁)

 


 野田良治、この度のボリビア滞在はせいぜい八日かそこらに過ぎなかったが、その間半截された紙幣を見ること両手の指で数え切れない多きにわたった。


 現に自分でも使用して、「理屈は抜きにして、実際には重宝な便法」なりとの所感を得ている。


 いったいこれは合理的なやり方なのか、どうなのか。


 いずれにせよ、ゴーストリコン ワイルドランズ』の舞台たる、サンタ・ブランカカルテルに壟断されたボリビアしか知らない私にとって、ひどく新鮮な感じがしたのは確かであった。

 

 

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(『ゴーストリコン ワイルドランズ』より、ボリビアのコカ農園)

 

 ゲーム脳と呼ぶなかれ。アニメやゲームの、世界を拡げる力というのは馬鹿にならない。興味を抱く第一歩として、頗る優れた媒体である。

 

 

 

 

 

 
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猫に魚を喰わせるな ―100年前のメキシコシティ―


 メキシコシティ「巨大な長野」と形容した日本人が嘗て居た。


 彼の名前は野田良治


 錚々たる経歴の持ち主である。

 

 

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 明治八年、丹波何鹿いかるがという、地元住民でもなくばまず読み解けない中丹地方の一角に於いて生を享け、長じてからは東京専門学校に入学。早稲田大学の前身に当たる同所を卒えると、今度は外務省に歩みを進め、めまぐるしい海外勤務の荒波へと漕ぎ出した。


 最初はメキシコ合衆国から。明治三十一年以降、外務書記生として三ヵ年の経験を積み、


 次いでペルーはリマ市に於いて、名誉領事の任につくことおよそ十年、


 更に三ヶ月程度の短期といえど、チリ公使館にて二等通訳官を務め上げ、


 いよいよブラジル大使館に移ってからは、最も長く、二十五年を此処で過ごして、昭和十年、ちょうど齢六十を目処に退官している。


「外務省きっての南米通」と称されるのも納得だろう。


 で、そんな野田良治の炯眼に、メキシコシティはどう映ったか。

 

 

Alameda Central 20th century. Mexico City

 (Wikipediaより、20世紀のメキシコシティ

 


 この地の何に信州長野の面影を見たのか、話をそこに引き戻す。

 


長野市は、二個の山脈の間に形成された高原の盆地に位し、鉄道に依って海岸に達するには日本海方面の直江津まで七十五粁、太平洋側の東京まで二百二十粁である。それと同じ様にメヒコ市は、東西二条に分れたシエラマドレ山脈の中間に挟まれた高原の盆地を占め、海抜七千四百尺で長野市よりも遥かに高く、鉄道に依る海岸までの距離は、東方ベラクルスまで四百二十五粁、太平洋岸のマンサニージョ港まで六百十三粁で、標高、距離ともにスケールが長野市よりは大きい。(昭和十七年発行『らてん・あめりか叢談』4頁)

 


 なるほど確かにメキシコシティの標高は2240mを記録しており、日本最高の県庁所在地、長野県長野市371mを以ってしても到底及ばぬ高みに在る。


 おまけに野田が赴任した明治三十一年の当時に於いて、マンサニージョ方面に通ずる鉄道は未だ完成していなかったから、「海」との縁遠さの点にかけても長野を大きく引き離していた。


 こういう土地では、しぜん魚類価格の高騰という現象を見る。


 ましてや冷凍保存技術なぞ未熟も未熟、実用化にこぎつけるには越えねばならぬ障碍が幾重にもわたって残されている時勢柄。魚類の味を知らぬまま、ついに生涯を終えようとするメキシコ人を、野田良治は幾度となく目の当たりにした。


 以下はそういうメキシコシティならでは・・・・の習俗として趣深い。

 


 日本料理には魚類が多く用ひられることを予が話した時に、下宿の主婦や娘たちから「猫に魚を喰べさせると気狂ひになる」といふことを聞かされた。これはメヒコ市の猫どもは、飼主自身が魚類を喰べないのであるから、何時まで経っても残物の骨にもありつけないのが常である。だから偶々何かの間違ひで魚にありつき、一度その味を覚えたが最後、ただ一心に魚を喰はんことを思ひ続け、他の食物は何を与へても摂らうとはせず、遂に狂気して死んで了ふといふのである。
 それほどに魚類は当時のメキシコ市では珍稀な物資であり、また富裕階級のみの消費する贅沢品であった。だから吾々が魚類を喰べる機会は、宴会またはホテルでの会食の場合に限られてゐた。(5頁)

 


 所変われば品変わる。


 そこをいくと長野県など「海なし県」でありながら、清流には恵まれて、イワナにヤマメ、ニジマスと、豊富な川魚に舌鼓を打てたのだから、よほど幸福とするに足る。

 

 

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(一斗缶によるイワナの串焼き)

 


 野田良治は昭和四十三年まで生き、九十三歳の長寿を保った。


 齢八十を過ぎてなお、『日葡辞典』編纂のため日本―ブラジル間の長距離を二度三度と行き来するなど、その精力と情熱は衰え知らずといっていい。


 この人が麻薬カルテルに占拠され、「修羅の国」と成り果てた今のメキシコを見たならば、どんな感想を漏らすだろうか。


 聞きたいような、聞きたくないような。世の移り変わりは、ときに無惨だ。

 

 

 

 

 

 
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オカイコサマ物語り ―蚕を狙う病魔について―


 日に日に気温が高くなる。


 それに合わせて、湿度も上昇傾向だ。部屋の各所に置いてある湿気取りに水が溜まるスピードが、あからさまに増している。季節はしっかり回転しつつあるらしい。


 この時分、厭なものは何といってもカビだろう。見た目も不快な黒カビが、ちょっと気を抜くとすぐに勢力を拡大しやがる。浴槽どころか冷蔵庫の中まで侵し、そしてすべてを台無しにするのだ。


 カビには私の御先祖様も、ずいぶん手古摺らされたとか。


 養蚕をやっていたからである。

 

 

Empress Kojun at a cocoonery 1955-6

 (Wikipediaより、養蚕をする香淳皇后

 


 蚕の病気は、多く多湿の場合に起こる。


 白彊病など、まさしくその好個たるべき例だろう。


 なんといっても、ある種のカビが病原体だ。この病で斃れた蚕は腐敗せずに硬直し、やがていちめん白い粉に覆われる。更に突っ込んだ説明は、例の青木信一農学博士の著書に詳しい。

 


…この白粉は、寄生菌の胞子で、これが飛散して蚕體につくと、発芽して、菌體を生じます。菌體は、松茸などのと同じよーに、絲状のもので、これを菌絲と申します。
 この菌絲は、體内に侵入し、仮胞子といふのをつくります。この仮胞子は、菌絲から離れて、血液中に入り、発芽して、また菌絲を生じ、この菌絲は、體内に蔓延して、つひに蚕を殺し、蚕の死後に、皮膚を貫いて、外部に白い胞子を結ぶのです。(明治四十四年発行『通俗農業講話』108~109頁)

 

 

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 なんともはや、おぞましい働きをするではないか。


 他のあらゆる病と同様、予防するに如くはない。


 屋根を兜造りに設えて蚕室の風通しを良くしたり、こまめに糞を取り除いたり、蚕具の洗浄を入念にしたり――。何の変哲もないごくありきたりな作業だが、結局最後にモノを言うのは地道な努力の累積なのだ。


 私自身に直接的な覚えはないが、両親の子供時代には山梨の養蚕もまだまだ盛んで、よく手伝いにかり出されたと聞いている。


 ひょっとするとあの辺りの小川なんかで、蚕架や蚕箔を洗ったのではあるまいか――。


 過去の想像を綯い交ぜにしつつ眺めると、見慣れた故郷の景観も、おのずから別種の滋味を生ずる。その味わいは、なかなか舌にこころよかった。酒と同様、歳ふりてこそ感得可能なうまみ・・・というものだろう。

 

 

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 カビ以外にも、蚕に迫る魔の手は多い。


 せっかくの機会だ。更に幾つか、紹介させてもらうとしよう。


 空頭あたますき病、はらくだり病、卒倒病、縮小病。


 このあたりは総称して「軟化病」の名で知られ、白彊病とは反対に、身体がグニャグニャになって死ぬ。病原体は細菌ないしウイルスである。


 再び『通俗農業講話』から、詳しい症例を引っ張ると、

 


一、空頭病 この病にかかったものは、頭はふくれて、透明になり、尾部は縮小します。死ぬと腐敗して、黒くなります。


一、瀉病  この病にかかったものは、軟い糞をもらし、體の後部がちぢまったり或は體の前部がふくれたりして、だんだん衰へ、つひに死にます。


一、卒倒病 別に、病気の徴候も、見えませんが、病勢の劇しいので、急に死んでしまひます。


一、縮小病 口から汚い汁を吐き、肛門から、軟い糞をもらし、體が縮まって死にます。(102~103頁)

 

 

Mulberry garden in Hakozaki Campus, Kyushu University 2

Wikipediaより、九州大学箱崎キャンパスの桑畑)

 


 蚕蛆さんそもまた、到底見逃すことのできない害悪だろう。カイコノウジバエという、あんまりにも直截な名をつけられた寄生蠅の幼虫で、給桑の仕方が迂闊だとこいつの卵が蚕の中に潜り込む。


 桑の葉っぱの裏側に卵を産みつける生態だからだ。

 


 蚕体に入った卵は、蚕のうちに、病徴をあらはさずに繭も、ほとんど通常なものを造りますが、蛹になってから、とうとう食ひ殺されます。その場合には、蛆が繭をも食ひ破って出ます。出た蛆は、長さが六七分もあります。蛆をかまはずにおくと、床板の間などから床下におり、土の中にむぐりこみます。土の中に入ってから、蛹になり、来春また羽化して、卵を産むのです。(107頁)

 


 繊維が断裂した繭からは碌な糸が紡げぬと、確か、どこかの記事で以前に触れた。


 なればこそ蛹が中にいるうちに、繭を煮え湯に放り込むのではないか。

 

 

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 それをこんな風に食い破られては、農家にとっては堪らない。何のためにこれまで骨を折って育ててきたのか、やるせない気持ちでいっぱいになる。心の底から絶滅させたい、厭な蟲であったろう。

 
 それにしても、ああ蚕とは、なんと繊細ないきものだろうか。人がこまごま世話を焼かねば生きることもままならないし、世話の巧拙は糸の質にもろ・・に出るのだ。


 地球上で唯一の、完全家畜化動物なだけのことはある。


 つくづく以って人類は、えらいものを生み出した。

 

 

 

 

 


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玉も黄金も ―歌の背景・乃木希典篇―

 

 明治二十九年は、台湾総督府を取り巻く御用商人どもにとり、「冬の時代」の幕開けだった。


 乃木希典がトップの椅子に座ったからだ。


 その報が新聞を通して伝えられるや、彼の邸の門前に、たちどころに大名行列が形成された。

 

 

Government-general of Taiwan

 (Wikipediaより、台湾総督府

 


 つい昨日まで名前も顔も一向存ぜぬ、何のえにしもなかったはずの連中が、突如として乃木の人事を「栄転」として我がことのように喜び讃え、「御見舞」または「御祝い」の品を担ぎこんで来たのである。


 反物、菓子折、書画、骨董――素人目にも高価とわかる「捧げもの」の数々は、しかし畢竟、鯛を釣るための海老に過ぎない。


 もしも乃木の愛顧を得、総督府の利権にうまく喰いつけたのならば、引き出せる利福はいったいいくら・・・か。想像するだに気が遠くなる、圧倒的なきらびやかさであったろう。先祖伝来の茶碗だろうが掛け軸だろうが、什器蔵から引っ張り出して貢いで悔いはないわけだ。


 ここが先途と言わんばかりの商人たちの攻勢に、しかし乃木の鉄腸は、ほんの一寸も蕩けなかった。書生に馬丁に、家人という家人を総動員して、山積せる献上品を一つ残らず突っ返し、


「こんな物をお貰いする理由がない。今後も絶対にお断りする」


 曲解の余地なき冷厳たる物言いで、彼らの意図を横一文字に裁断してのけたのである。

 

 

Nogi visited Aizu

Wikipediaより、明治二十九年撮影、前列左から三番目に乃木希典) 

 


 同様の噺が、やはり陸軍の大立者、「独眼竜」山地元治の経歴にもある。鎮台司令官として大阪に移った当初というから、明治十五年あたりであろう。――「某御用商人が一ぴきの鯛をお祝いにといって持って来た」

 


 将軍は直ちにそれをつッかへした。
 件の御用商人は、かげにまわって、
「今度の司令長官はまことに気の小さい人だ。まさか鯛一尾ぐらゐで、賄賂にもなるまいに」
 と嘲笑した。それを洩れ聞いた将軍は、
「一尾の鯛が二尾となり、十尾が二十尾となり、更に黄金色の鯛と変り、はては白粉をつけた鯛とでも変られたら厄介だからなァ」
 といって、呵々大笑されたといふ。(昭和十四年『交渉応対座談術』154頁)

 


 そういえば山縣有朋も、個人的な贈り物は新米一俵さえ受領を拒み、容赦なく逆送して憚らなかった男であった。


 明治人、とりわけ陸軍軍人に共通した精神性だったのだろうか。この人々の用心深さは一種亀鑑とするに足る。

 

 

Yamaji Motoharu

 (Wikipediaより、山地元治)

 


 まあ、それは余談――。


 乃木希典は台湾に赴任した後も、持ち前の廉潔さを遺憾なく発揮。組織内の廓清に努め、奢侈や賄賂の風潮を断然廃そうと努力した。


 が、その結果としてこれまで居心地のいい腐敗熱の中ぬくぬくと、桃源の夢をむさぼっていた既存勢力から激しく憎まれ、種々の奸計を弄された挙句、翌々年の明治三十一年にはもう総督職を退かざるを得なくなっている。


 もっともこの躓きを経験した後であろうと、乃木の信念には些かのヒビも入っていないが。


 ヤケを起こし、善というものに幻滅し、開き直って俗物たらんと志すには、乃木の矜持は高すぎた。そうとも知らず彼の寓居を訪問したのは、とある企業の重役を名乗る山師然とした男。自信たっぷりに持ち掛けたのは、


「今度新たに興す会社の社長になって欲しい」


 そんな具合の相談だった。

 

 

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「いや、決して雑務に閣下のお手を煩わすことはないのです。お名前だけお貸しいただければ、もうそれだけで」


 報酬はお望み次第、また如何様の御申出オプションにも応じますと、羊羹の砂糖漬けみたような甘い文句で誘ったのである。


 これに対して、乃木の反応は簡素を極めた。


 客にひとしきり喋らせ終わると、おもむろに硯を引き寄せて、さらさらさらりと半紙に筆を滑らせる。それを客へと押しやったっきり、自分は奥へと退がってしまった。この間、ついに片言半句も発していない。


(はて)


 狐につままれたような顔をして半紙を取り上げた「重役」は、あっと眼を見開いた。墨痕淋漓と認められていたものは、

 

もののふは玉も黄金こがねも何かせむ
命にかへて名こそ惜しけれ


 これ以上なく鮮烈な、「男子の意気」そのものだったからである。

 

 

Nogi-Shrine-Tokyo-01

Wikipediaより、乃木神社拝殿) 

 


 乃木神社の歌碑をはじめに、この三十一文字は処々に刻まれ、今日でもなお霊光を放射し、感化を与え続けている。

 

 

 

 

 


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文豪ふたり ―静寂を貴ぶ男たち―


 カーライルは神経過敏な男であった。


 とりわけ「音」への感覚は一種特別なものがあり、その繊細さは時として、殻を剥かれたエビにすら擬えられたほどである。時計のチクタク音にキレ、遠くの犬の鳴き声に集中力を掻き乱されて、逆上のあまり二重壁の部屋をつくって引き籠ってみたものの、やはり満足には程遠い。


「いっそ、アフリカの砂漠にでも移りたい。それが叶わないのなら、せめて大海に船を浮かべてそこで思索に耽りたい」


 日ごと癇癪を起しては夫人に向かってこんなことを言い散らし、彼女を大いにてこずらせたということだ。

 

 

Thomas Carlyle lm

 (Wikipediaより、トマス・カーライル)

 


 ダーウィンもまた、被害に遭った一人であった。


 スペンサー邸でこの両名が対面した際、何を思ったかカーライルは滔々三時間に亘り、喧騒の有害と沈黙の利益について思うところをまくし立て、ダーウィンをしてほとんど座にいたたまれぬほど困憊させた。


 ダーウィンは後にこの体験を「喧騒を攻撃するための喧騒」と表現し、お蔭で自分にも静寂の利益が覚れたと皮肉たっぷりに締めくくったそうである。


 次の逸話は、以上の知識を前提として脳に容れておかなくば、真の妙味を感得し難い。

 


 米国の文豪エマーソンが、欧州漫遊の折、英国カーライルの寓居を訪ねた。両文豪の初対面だから、どんなすばらしい話が交わされるかと思ったら、カーライルは先づ賓客に煙草をすゝめ、二人とも黙したるまゝ深夜に及んだ。やがて別れる時、
「こんな愉快な晩はなかった」
 と異口同音、二人は堅い握手を交わした。(昭和十四年発行『交渉応対座談術』336頁)

 

 

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 此度は私も彼らに倣おう。贅言を慎み、本稿はここで切り上げる。


 これは決してネタ切れにより、にっちもさっちも行かなくなった挙句の果ての、苦し紛れの言い訳ではない。ないといったらないゆえに、その点どうか悪しからず。

 

 

 

 

 


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