穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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夢路紀行抄 ―粉々に―


 夢を見た。


 砕け散った夢である。


 まず、私の身長が一気に15㎝以上も伸びて、196㎝になっていた。


 後から思い合わせると、この数字の出どころはサントリー缶チューハイに屡々プリントされている-196℃とみて相違ない。

 

 

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 常日頃、何に興味を惹かれているか、透けて見えようというものだ。


 が、最中に在ってはそんな考えは微塵も浮かばず。


 座布団を枕に寝転んで、測定結果の書かれた紙を仰ぎつつ、至って無邪気に喜んでいた。


 すると頭上からコツコツと、控えめなノックの音が聞こえる。


 見れば愛想笑いを張り付けた押し売りの顔が、窓の向こうに浮いていた。


 家の外壁をよじ登り、遥々ここまで来たらしい。


 努力に免じ、中へ招じ入れてやる。彼はさっそく鞄を下ろし、商品の陳列をしはじめた。


 とんでもなく時代遅れなパッケージデザインの粉せっけんとか、2リットルサイズの漂白剤とか、とにかくそういう水回りの清掃用品が多かったように思われる。私はいったい、何をそんなに洗い流したがっているのか。

 

 

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 いぶかしがる暇もなく、景色ががらりと変化した。


 部屋も商人も春の霞の如く消え去り、ごみごみした、灰色っぽい駅の構内出現あらわれる。急に下腹部に焼けつくような疼きを覚え、いたたまれずにトイレを求めて駆けずり廻った。


 駅ならば、当然併設されているはずだろう。


 やがて見つけた。


 駈け込んで、しかしはたと当惑させられる。小便器が一つもない。すべて個室のみである。


(あっ)


 紫電が背筋を遡上する。気がついたのだ。そうだとも、この事態を解く鍵は一つしかない。

 

 どういう感覚の狂いに依ってか知らないが、私が足を踏み入れたのは女子トイレの方だったのだ。


(なんということだ)


 慄然として引き返そうとしたものの、しかし時すでに遅しであった。


 個室の扉の一つが開き、利用者がすっと顔を出す。


 目が合った。


 そのあたりの空気が急に、ひどく硬くて冷たい「何か」に変わったような感がした。


 四方三里に響かんばかりの金切り声が、その「何か」に亀裂を刻み、ガラスの如く砕き散らせる――さも劇的な、そんな光景さえ幻視する。本当に粉々になったのは、私の人生そのものだろうに。

 

 

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 目覚めてから「夢でよかった」と胸をなでおろした例は幾度もあるが、今度のはわけても最上級だ。


 ああ本当に、夢でよかった。

 

 

 

 

 

 
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