五千円の買い物をして、一万円札で支払った。
釣りの五千円を貰わねばならない。
小学生でも即答可能な道理であろう。
ところが店員の態度は奇妙で、こちらの出した万札を二つ折りにし、 二度三度と折り目をなぞってばかりいる。
(こいつ、何のまじないだ)
催促の意を籠め、怪訝な眼差しを向けてはみたが、効果はぜんぜん皆無であった。
遮眼帯を装備された馬のようにひたすらに、店員は自己の作業に没頭している。
(或いはその
余所者のおれを心中密かに嘲弄しているのでは――と、黒い考えが鎌首を擡げた、その刹那。
びりびりと、乾いた音が店員の手元から響きはじめた。
紙を破る音に似ていた。
否、「似ている」ではない、そのものである。
両端にかけられた力に従い、万札が、折り目を境に真っ二つに引き裂かれつつあったのだ。
――おいっ。
と、一声上げて制止するべきだったろう。
が、店員の動きはあまりに素早く、なにより無造作であり過ぎた。有り体に言えば、つけ入るべき隙がなかった。
瞬く間に紙幣は二枚に分割されて、無惨な姿を卓上に晒す。その片方をつまみ上げ、
「はいお釣り、五千円になります」
これまた何の気負いも感ぜられない、ごくさりげない声色で、ぬけぬけと告げてのける店員だった。……
以上は別に、昨夜の夢の内容ではない。
明治四十年、ボリビアのとある書店にて。野田良治の身の上に現実に起きた出来事である。
理解を早める目的で、通貨単位のみ現代式に改めさせていただいた。
半分になった紙幣を渡され、当然野田は詰め寄ったという。こんなもので、いったいどうしろと言うのかと。
それに対する先方の答えは
半截した紙幣は、十円のものは五円、五円のものは二円五銭と、完全なものゝ額面の半額に通用すること請合ひです。しかし一旦半截したものを更に二つに裂いたら、それは通用しません。御覧の通り番号は斜に相対する二隅だけに印刷してありますから、二つ切りにしたときはその一つ々々に番号が保存されますが、今度それを改めて半截すれば、番号のないのが出来るでせう。だから四つ切にすれば通用しませんから御注意なさい。(『らてん・あめりか叢談』131頁)
野田良治、この度のボリビア滞在はせいぜい八日かそこらに過ぎなかったが、その間半截された紙幣を見ること両手の指で数え切れない多きにわたった。
現に自分でも使用して、「理屈は抜きにして、実際には重宝な便法」なりとの所感を得ている。
いったいこれは合理的なやり方なのか、どうなのか。
いずれにせよ、『ゴーストリコン ワイルドランズ』の舞台たる、サンタ・ブランカ・カルテルに壟断されたボリビアしか知らない私にとって、ひどく新鮮な感じがしたのは確かであった。
(『ゴーストリコン ワイルドランズ』より、ボリビアのコカ農園)
ゲーム脳と呼ぶなかれ。アニメやゲームの、世界を拡げる力というのは馬鹿にならない。興味を抱く第一歩として、頗る優れた媒体である。
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