大正十二年十月七日、『東京朝日』の夕刊に、こんな記事が載せられた。
甲州御嶽の神官、発狂。刀を抜いて滅多矢鱈に振り回し、流血の惨事を具現せり。
その動機に関しては、べつに秘密の儀式に失敗し、よくないモノに取り憑かれたとか、そういう神秘的要素は一切含まぬ。
ただ単純に、一ヶ月前日本を襲った未曾有の災禍、関東大震災の影響で、今年の納入金が見込めなくなっただけのこと。
よりにもよって、神に仕える人間が。
混じりっ気のない物欲そのもの、俗心100%の理由によって。
その精神を千々に砕かれ、かかる自爆的凶行に及んだのである。
末世としかいいようがない。
我が故郷ながら山梨県には、どうもこういう宗教上の汚点が多い印象だ。
上九一色村のサティアン群は言うに及ばず、丸山照雄を生み出したのもなかなかひどい。
身延山宝聚院麓坊第46世住職の身でありながら、同時に強烈なアカのシンパだった人物で、公害企業の経営陣を呪殺すると宣言し、あやしげな団を興すなど、その言行は胡乱を極めた。
挙句の果てに、あさま山荘事件に際して取った態度はどうであろう。頼まれもせぬのに現地に駈けつけ、「連合赤軍銃撃戦線断固支持」と大書されたビラを撒き、「山狩り警官射殺を目論む、威嚇でなくて本当だ、警視庁から狙撃班五十人を集めた」などと事実無根のアジを飛ばすに至っては、もはや完全に言外の沙汰。前後の見境も消え果てたと判断するより他にない。
警察の銃は悪魔の武器で、赤軍の銃は天の祝福を授かった聖遺物とでもほざくのか。
「ソ連の核はきれいな核」と破廉恥きわまる牽強付会を敢えてした、左巻きらしい面の皮の厚さであった。
ここまで書いて、気分の落ち込みを如何ともし難くなってきた。
今日の梅雨空さながらに、暗雲が胸に垂れ込める。
これはいけない。
ひとつ道話でも差し挟み、清涼剤に具してみよう。
道話といってもその出典はしゃちほこばった修養書でもなんでもない。
中興館から昭和九年に出版された、『経済地域に関する諸問題の研究』という、歴々たる学術書の一節だ。
曾つて某県に於いて、田の畦畔に植ゑてある木(ハザ)が、その蔭の為に稲の収穫率を減少するといふ理由で、これを採伐させたことがあった。然るにその結果、農業者は稲を乾燥するのに特別に木材を運んで、枠を造らなければならないので、手間と費用を要し、又夏季炎天下で仕事をする場合に、休息の場所がなくなったので、傘を立てて、日覆を設けなければならなくなった。ところが其の地方は、午前と午後とで風の方向が異なり、又其の風が相当に強いから、その傘や日覆の保存が悪く、度々取換へなければならなかった。かやうに色々な点から、不利と不便とを招いて、結局、木陰によって稲の収穫が減少するといふ損失などは、到底比べ物にならないことを後で感じて、再びそこに若木を植付けたといふ例さへある。(43~44頁)
(武蔵野のとある農村風景)
同書はまた、女児が生まれるとすぐ桐の苗木を植え付ける、埼玉県忍地方の古俗についても触れている。
こうしておけば、その女の子が結婚する頃、ちょうどその桐もたくましく成長を遂げていて、箪笥や長持に代表される嫁入り道具を設えるのに具合よしだと。
この話も悪くない。ひどく粋な味がする。お蔭で気分が、いくらか晴れた。
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