日に日に機会が増えている。
『ゆるキャン△』アニメ二期の広告を目にする機会が、だ。
漫画で予習は済んでいる。一期が思い切りツボに嵌ったいきがかり上、手を出さずにはいられなかった。アニメから原作にポロロッカする、典型的な例であろう。
就中、五巻に収録されている、浜名湖の鰻をかっ喰らうあのエピソード。あれの映像化が待ち遠しくて仕方ない。一日千秋とはこのことか。
ここはひとつ、「浜名湖の鰻」にまつわる小話でもして、待つ身のじれったさを紛らわしてみるとしよう。
鰻が浜名湖の名物となった
――これはよき土地。
養殖をやるには最適だろう、と直感したことによる。
一目惚れといっていい。
この男、姓は服部、名は倉次郎。
東京本所深川あたりで長いこと――それはもう、御一新の以前から――鰻やすっぽん、水産物の養殖に打ち込んで来た、斯かる道の権威であった。
それゆえに磨き抜かれた眼力というものがある。
果たして倉次郎の直感は的を射ていた。最初こそなかなか利益があがらず困難したこともあったそうだが、やがて成功して大利益を生むに至った。
さてそうなると、湧いてくるのが同業者である。
こうすれば儲かると判った以上、我こそ第二の倉次郎たらんと誰も彼もが目の色を変えて殺到し、たちまちのうちに養殖池が浜名湖畔一帯にずらりと並ぶこととなる。「大漁」の希望を未来に託して、皆が胸を高鳴らせたことだろう。
が、そうは問屋が卸さなかった。間もなく彼らは現実が如何に厳しいか、鰻がどれほどデリケートないきものか、馬鹿高い授業料を支払って学ばされることとなる。
そのあたりの消息は、福澤諭吉の高弟たる波多野承五郎に於いて詳しい。
鰻の養殖には、淡水と鹹水とが交って居るところがよいと信ぜられて居たので、浜名湖畔の養殖池が出来るやうになった。併し、今日では、何れの養殖池も汐入になって居ない、而して、池の真水を絶えず新陳代謝せしめる必要があるから、池畔には堀抜井戸が掘ってある。石油エンジンのポンプで、昼夜間断なく、此井戸から池に水を汲込んでいる、堀抜井戸の深さは、大抵、四十間内外で、四本の鉄管が入れてある。井戸を掘る費用は、千三四百円であるが、場所によっては、それだけの金を掛けても、水の出ないところがある。(昭和五年発刊、『随筆東海道』238頁)
波多野の出身は掛川の町、地理的に浜松からはほど近い。
地元を語るだけあって、聞き手の脳裏に自然とその情景を浮かべるような、平易で明快な表現だった。
昭和初頭の養殖景色、更に続けて、
井戸の水が悪いか又は、井戸を掘っても水の出ぬと言ふところに設けてある養殖池は、大抵、損をして居る。斯う言ふ養殖池では、悪黴菌や有毒微生物の為めに、鰻が斃れる事が多いからだ。浜名湖に就いて言へば、西岸即ち新井方面には、水の出ぬところが多い。東岸、即ち、舞坂方面では、よい水が出るところが多い、その中でも、浜松市に近い場所が最も良い水が出る。それだから、西岸に養殖池を持って居る会社には無配当や欠損のものすらあるといふ事だ。(229~230頁)
今となっては半ば常識と化しているこれらの知識も、アテが外れて大損こいた無数の会社、山と積もった失敗例から漸く帰納されたものなのだろう。
つくづく現在は過去の犠牲の上にある。
浜名湖の鰻について、もう一つ触れておきたいことがある。
彼らの飼料についての話だ。あぶらののったあの肉は――少なくとも波多野承五郎の時代までは確実に――、蚕のさなぎを喰わせることで実現されたものだった。
当時、浜松では養蚕が盛ん。蜜柑の木を引っこ抜き、代わりに桑を植えつけた農家の話が伝わっていると言ったなら、おおよその雰囲気は察せるだろうか。鈴木式織機製作所や宮崎製糸工場が休む間もなく回転し、生糸の生産に勤しんでいた。
ところで繭から糸を取る場合、これを湯で煮て繊維をほぐし、より合わせてゆく仕組みであるが、このとき繭にはしっかりと「中身」が入った状態でなければならない。羽化を許し、抜け殻になった繭を茹でても、既に繊維が分断されているゆえに、上質な糸を紡ぐことができないからだ。有り体に言えば、品質が劣化してしまう。
むろん、沸騰する湯に浸けられたなら、「中身」の蛹はひとたまりもなく死ぬだろう。
完全家畜化生物の悲哀であった。
(Wikipediaより、カイコの成虫)
一個の繭から得られる糸などさほどでもない。
勢い大量の繭が必要とされ、それに伴い煮殺される蛹の方もこれまた夥しい数になる。
これほどの犠牲、ただ棄てるのは勿体ない。日本人の伝統的な精神性が、そろそろ発揮される頃合いだ。活用法は地域によって様々だったが、ここ浜松では専ら鰻の餌にあてがった。
知っての通り、蚕の蛹は栄養価に富んでいる。牛肉に匹敵するタンパク質に、ミネラル・ビタミンB群がたっぷり含まれ、「蛹三個で鶏卵一個」なんて標語さえもあるほどだ。
そりゃあ鰻も、さぞ肉厚に育つだろう。一部の食通気取りからは
「蚕など喰わせている所為で、奥に隠し切れない臭みがある」
などと貶されたりもしたものの、ほとんどの客は
「舌の上で溶けるようだ」
と絶賛し、「浜名湖の鰻」は揺らぐことなき一大ブランドと化していった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓