穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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オカイコサマ物語り ―蚕を狙う病魔について―


 日に日に気温が高くなる。


 それに合わせて、湿度も上昇傾向だ。部屋の各所に置いてある湿気取りに水が溜まるスピードが、あからさまに増している。季節はしっかり回転しつつあるらしい。


 この時分、厭なものは何といってもカビだろう。見た目も不快な黒カビが、ちょっと気を抜くとすぐに勢力を拡大しやがる。浴槽どころか冷蔵庫の中まで侵し、そしてすべてを台無しにするのだ。


 カビには私の御先祖様も、ずいぶん手古摺らされたとか。


 養蚕をやっていたからである。

 

 

Empress Kojun at a cocoonery 1955-6

 (Wikipediaより、養蚕をする香淳皇后

 


 蚕の病気は、多く多湿の場合に起こる。


 白彊病など、まさしくその好個たるべき例だろう。


 なんといっても、ある種のカビが病原体だ。この病で斃れた蚕は腐敗せずに硬直し、やがていちめん白い粉に覆われる。更に突っ込んだ説明は、例の青木信一農学博士の著書に詳しい。

 


…この白粉は、寄生菌の胞子で、これが飛散して蚕體につくと、発芽して、菌體を生じます。菌體は、松茸などのと同じよーに、絲状のもので、これを菌絲と申します。
 この菌絲は、體内に侵入し、仮胞子といふのをつくります。この仮胞子は、菌絲から離れて、血液中に入り、発芽して、また菌絲を生じ、この菌絲は、體内に蔓延して、つひに蚕を殺し、蚕の死後に、皮膚を貫いて、外部に白い胞子を結ぶのです。(明治四十四年発行『通俗農業講話』108~109頁)

 

 

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 なんともはや、おぞましい働きをするではないか。


 他のあらゆる病と同様、予防するに如くはない。


 屋根を兜造りに設えて蚕室の風通しを良くしたり、こまめに糞を取り除いたり、蚕具の洗浄を入念にしたり――。何の変哲もないごくありきたりな作業だが、結局最後にモノを言うのは地道な努力の累積なのだ。


 私自身に直接的な覚えはないが、両親の子供時代には山梨の養蚕もまだまだ盛んで、よく手伝いにかり出されたと聞いている。


 ひょっとするとあの辺りの小川なんかで、蚕架や蚕箔を洗ったのではあるまいか――。


 過去の想像を綯い交ぜにしつつ眺めると、見慣れた故郷の景観も、おのずから別種の滋味を生ずる。その味わいは、なかなか舌にこころよかった。酒と同様、歳ふりてこそ感得可能なうまみ・・・というものだろう。

 

 

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 カビ以外にも、蚕に迫る魔の手は多い。


 せっかくの機会だ。更に幾つか、紹介させてもらうとしよう。


 空頭あたますき病、はらくだり病、卒倒病、縮小病。


 このあたりは総称して「軟化病」の名で知られ、白彊病とは反対に、身体がグニャグニャになって死ぬ。病原体は細菌ないしウイルスである。


 再び『通俗農業講話』から、詳しい症例を引っ張ると、

 


一、空頭病 この病にかかったものは、頭はふくれて、透明になり、尾部は縮小します。死ぬと腐敗して、黒くなります。


一、瀉病  この病にかかったものは、軟い糞をもらし、體の後部がちぢまったり或は體の前部がふくれたりして、だんだん衰へ、つひに死にます。


一、卒倒病 別に、病気の徴候も、見えませんが、病勢の劇しいので、急に死んでしまひます。


一、縮小病 口から汚い汁を吐き、肛門から、軟い糞をもらし、體が縮まって死にます。(102~103頁)

 

 

Mulberry garden in Hakozaki Campus, Kyushu University 2

Wikipediaより、九州大学箱崎キャンパスの桑畑)

 


 蚕蛆さんそもまた、到底見逃すことのできない害悪だろう。カイコノウジバエという、あんまりにも直截な名をつけられた寄生蠅の幼虫で、給桑の仕方が迂闊だとこいつの卵が蚕の中に潜り込む。


 桑の葉っぱの裏側に卵を産みつける生態だからだ。

 


 蚕体に入った卵は、蚕のうちに、病徴をあらはさずに繭も、ほとんど通常なものを造りますが、蛹になってから、とうとう食ひ殺されます。その場合には、蛆が繭をも食ひ破って出ます。出た蛆は、長さが六七分もあります。蛆をかまはずにおくと、床板の間などから床下におり、土の中にむぐりこみます。土の中に入ってから、蛹になり、来春また羽化して、卵を産むのです。(107頁)

 


 繊維が断裂した繭からは碌な糸が紡げぬと、確か、どこかの記事で以前に触れた。


 なればこそ蛹が中にいるうちに、繭を煮え湯に放り込むのではないか。

 

 

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 それをこんな風に食い破られては、農家にとっては堪らない。何のためにこれまで骨を折って育ててきたのか、やるせない気持ちでいっぱいになる。心の底から絶滅させたい、厭な蟲であったろう。

 
 それにしても、ああ蚕とは、なんと繊細ないきものだろうか。人がこまごま世話を焼かねば生きることもままならないし、世話の巧拙は糸の質にもろ・・に出るのだ。


 地球上で唯一の、完全家畜化動物なだけのことはある。


 つくづく以って人類は、えらいものを生み出した。

 

 

 

 

 


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