日に日に気温が高くなる。
それに合わせて、湿度も上昇傾向だ。部屋の各所に置いてある湿気取りに水が溜まるスピードが、あからさまに増している。季節はしっかり回転しつつあるらしい。
この時分、厭なものは何といってもカビだろう。見た目も不快な黒カビが、ちょっと気を抜くとすぐに勢力を拡大しやがる。浴槽どころか冷蔵庫の中まで侵し、そしてすべてを台無しにするのだ。
カビには私の御先祖様も、ずいぶん手古摺らされたとか。
養蚕をやっていたからである。
蚕の病気は、多く多湿の場合に起こる。
白彊病など、まさしくその好個たるべき例だろう。
なんといっても、ある種のカビが病原体だ。この病で斃れた蚕は腐敗せずに硬直し、やがていちめん白い粉に覆われる。更に突っ込んだ説明は、例の青木信一農学博士の著書に詳しい。
…この白粉は、寄生菌の胞子で、これが飛散して蚕體につくと、発芽して、菌體を生じます。菌體は、松茸などのと同じよーに、絲状のもので、これを菌絲と申します。
この菌絲は、體内に侵入し、仮胞子といふのをつくります。この仮胞子は、菌絲から離れて、血液中に入り、発芽して、また菌絲を生じ、この菌絲は、體内に蔓延して、つひに蚕を殺し、蚕の死後に、皮膚を貫いて、外部に白い胞子を結ぶのです。(明治四十四年発行『通俗農業講話』108~109頁)
なんともはや、おぞましい働きをするではないか。
他のあらゆる病と同様、予防するに如くはない。
屋根を兜造りに設えて蚕室の風通しを良くしたり、こまめに糞を取り除いたり、蚕具の洗浄を入念にしたり――。何の変哲もないごくありきたりな作業だが、結局最後にモノを言うのは地道な努力の累積なのだ。
私自身に直接的な覚えはないが、両親の子供時代には山梨の養蚕もまだまだ盛んで、よく手伝いにかり出されたと聞いている。
ひょっとするとあの辺りの小川なんかで、蚕架や蚕箔を洗ったのではあるまいか――。
過去の想像を綯い交ぜにしつつ眺めると、見慣れた故郷の景観も、おのずから別種の滋味を生ずる。その味わいは、なかなか舌にこころよかった。酒と同様、歳ふりてこそ感得可能な
カビ以外にも、蚕に迫る魔の手は多い。
せっかくの機会だ。更に幾つか、紹介させてもらうとしよう。
このあたりは総称して「軟化病」の名で知られ、白彊病とは反対に、身体がグニャグニャになって死ぬ。病原体は細菌ないしウイルスである。
再び『通俗農業講話』から、詳しい症例を引っ張ると、
一、空頭病 この病にかかったものは、頭はふくれて、透明になり、尾部は縮小します。死ぬと腐敗して、黒くなります。
一、瀉病 この病にかかったものは、軟い糞をもらし、體の後部がちぢまったり或は體の前部がふくれたりして、だんだん衰へ、つひに死にます。
一、卒倒病 別に、病気の徴候も、見えませんが、病勢の劇しいので、急に死んでしまひます。
一、縮小病 口から汚い汁を吐き、肛門から、軟い糞をもらし、體が縮まって死にます。(102~103頁)
桑の葉っぱの裏側に卵を産みつける生態だからだ。
蚕体に入った卵は、蚕のうちに、病徴をあらはさずに繭も、ほとんど通常なものを造りますが、蛹になってから、とうとう食ひ殺されます。その場合には、蛆が繭をも食ひ破って出ます。出た蛆は、長さが六七分もあります。蛆をかまはずにおくと、床板の間などから床下におり、土の中にむぐりこみます。土の中に入ってから、蛹になり、来春また羽化して、卵を産むのです。(107頁)
繊維が断裂した繭からは碌な糸が紡げぬと、確か、どこかの記事で以前に触れた。
なればこそ蛹が中にいるうちに、繭を煮え湯に放り込むのではないか。
それをこんな風に食い破られては、農家にとっては堪らない。何のためにこれまで骨を折って育ててきたのか、やるせない気持ちでいっぱいになる。心の底から絶滅させたい、厭な蟲であったろう。
それにしても、ああ蚕とは、なんと繊細ないきものだろうか。人がこまごま世話を焼かねば生きることもままならないし、世話の巧拙は糸の質に
地球上で唯一の、完全家畜化動物なだけのことはある。
つくづく以って人類は、えらいものを生み出した。
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