未来は過去の瓦礫の上に築かれる。
「時間」の支配は残酷にして絶対だ。「時間」は決して永久不変を許さない。時の流れはこの
斯かる一連の作用を指して、「時間」なるものの正体を「万物の貪食者」と定義したのは誰あろう、高橋誠一郎だった。
初見はずいぶん驚いた。
慶應義塾の誇る俊英、経済学者の上澄みが、なんたる詩的な表現を――と、目を洗われるの感だった。
年がら年中、無味乾燥な数字に埋れ、鵜の目鷹の目光らせて、富の動きを追っかける学問の徒の精神に、こんな潤いがあったとは、である。
「『時』は万物の貪食者である。無盡の創造力を有する『時』は亦無限の破壊力を有するものである。『時』の創造し
上が即ち、その文面だ。
元旦早々、大地震に襲われて、騒然たる幕を開いた令和六年、西暦にして2024年ももはや、もう、あと二ヵ月を残すのみ。
時の進みの無情迅速を痛感せずにはいられない、そういう今日であればこそ、改めて味わいたくなった。
実際問題、この一年で日本社会も少なからず変化した。鳥山明の急逝に、米騒動に選挙にと――疑いようもないことだ。
せっかくの夜長、そのあたりにつき思いを馳せるも一興か。
残り二ヶ月、されど二ヶ月。
中身の詰まった六十余日にしたいもの。少なくとも八月・九月の二倍以上の濃さを期したい。可能なはずだ、気温が下降するにつれ、
この意味からして夏が延びるということは、私にとっては一年がどんどん短くなることを指す。
暑熱の渦中に在る時は、この苦しみが永遠に続くんじゃないかと錯覚するにも拘らず、理不尽極まることでる。
小氷期の到来を割と真面目に望むのは、そうした事情あってこそ。温暖化の世は生き辛い。太陽活動の衰退さえも、いっそ祈りたくなるほどに。
(戦前昭和、後楽園白糸の滝)
返す返すも、今年の夏は酷かった。
あまりに、あまりに酷すぎた。
来年こそは連続猛暑日記録等の更新に歯止めがかかるとよいのだが。
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