三日で三万五千樽。
明治二十二年の二月、憲法発布の嘉日に際し、帝都東京市民らが消費した酒の量だった。
数はほとほと雄弁である。明治人らが如何に浮かれ騒いだか、口を大きくおっぴろげ、
まず馬鹿売れと呼ぶに足る、この事態を受け酒の価格は当然高騰。早く常態に復してくれと悲鳴まじりの哀願が今に伝えられている。
新潟といい、飛騨といい。豪雪地帯は良酒を醸す印象だ。雪解け水だの谷風だのと、そのへんの要素がうまく噛み合う結果であろう。
白川郷を訪ねた後は、当然高山市街の方にも足を延ばした次第であった。
(飛騨東照宮より市街を望む)
外国人観光客の怒涛に揉まれ弄ばれつつ、酒屋を求めて路地から路地へ、古い家並みを出入りする。
そして得た。
清酒と濁酒、ひとつづつ。
自分のための土産としては、これで十分。
開けるのがとても楽しみだ。
礼を正し、
労を医し、
憂を忘れ、
鬱を開き、
気をめぐらし、
病を避け、
毒を解し、
人と親み、
縁を結び、
人壽を延ぶ、
「酒の十徳」を完璧に満たす、質の高さを期待する。
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