原書に触れろと、大学で教授に訓戒された。
『古事記』でも『徒然草』でも『五輪書』でもなんでもいい。教科書で名ばかり暗記して知った気になっている名著、学生の身である内に、それらを可能な限り読め。自分の瞳と感性で、独立の評価を
正直教授の顔つきも朧と化して久しいが、この言葉だけは今でもはっきり思い出す。
なるほど、と頷かされる局面が屡々あったからだろう。
たとえば石川啄木が、
「小生は日本の現状に満足せず。と同時に、浅層軽薄なる所謂非愛国者の徒にも加担する能はず候。在来の倫理思想を排する者は、更に一層深大なる倫理思想を有する者なかる可らず。而して現在の日本を愛する能はざる者は、また更に一層真に日本を愛する者なからざる可らず」
こんなことを言う人間だとは、実際その著を開くまで完全に想像の埒外だった。
伊藤博文の遭難を、
「新日本の経営と東洋の平和の為に勇ましき鼓動を続け来りたる偉大なる心臓は、今や忽然として、異域の初雪の朝、其活動を永遠に止めたり」
「公今や
こうまで烈しく痛惜するとは、まさか夢にも。
山芋が鰻に
似たような衝撃を、明治三十七年五月の山路愛山も味わったらしい。
日露戦争真っ只中のこの時期に、彼は思うところあり、日本を離れ韓半島を旅行した。
(朝鮮半島、長寿山)
十日ばかりの短い旅だが、この経験は彼のそれまでの認識を決定的に塗り替えてしまう威力があった。
本人の紀行文に曰く、
「僕の韓国に来らざるや韓人の猶ほ自ら振ひ、自ら
と。
およそ十年ほど以前、福澤諭吉が既に示してくれていた、
「朝鮮は腐儒の巣窟、上に磊落果断の士人なくして国民は奴隷の境遇に在り、上下共に文明の何物たるを解せざる者のみにして、稀に人物と称する学者あるも、唯能く支那の文字を解するのみにして共に時事を語るに足らず。其国質を概評すれば知字の野蛮国とも名く可きものなれば、其の改革の方法手段を談ずるに、
この方針の正しさを、今更ながらに実感したというわけだ――それこそ骨髄に滲みるまで。
(昭和初期、慶應義塾大学病院)
帰国してさまで間をおかず、明治三十七年七月『日露戦争実記 第十九號』に寄せた稿の
「外国にては我日本が
抑も日本の今ある決して不思議に非ず。大化の昔、隋唐の制度を輸入して律令を定めたる時より日本は唯人真似を以て満足したるに非ず、朝鮮の如き奴隷的模倣者に非ざることは令の文を一読したるものゝ直ちに看取せざるを得ざる所なるべし。何事も外国の真似をしたりと云はれし其時代にさへ、日本人は外国の文物を生呑せずして全く自国流に同化したる迹の著しきあり」
半島旅行の影響が、あからさまに見て取れる。
原書・現物に触れるのは、やはり大事であるようだ。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓