「なんでそんなことしたんだアンタ」と訊かれれば、「したかったから」という以外、どんな答えも返せない。
つまりは好奇の狂熱である。
研究者にとり、なにより大事な資質であろう。
(フリーゲーム『ツキメテ』より)
沢村真は納豆菌の発見者だ。練れば練るほどねちゃねちゃと、粘り気を増すあの糸を、顕微鏡にセットして、そこに蠢く桿状菌をレンズ越しに確かめた、いちばん最初の人類である。
「Bacillus natto Sawamura」と命名したその菌を、沢村は次に大豆以外の多くの豆類・ないし豆を原料とする食製品に植えつけた。
自分が見付けた微生物の可能性、潜在力をとことんまで試してみたくなったのだろう。
が、結果はあまり捗々しからず。これは結構有望なんじゃなかろうか――と、内心密かに期待をかけたインゲン豆でも納豆菌は根付かずに。「繁殖も悪く、粘り気も生ぜず、つまり納豆にならなかった」とのことだ。
納豆菌との相性は、やはり大豆が飛びぬけて良好としか思えない。
それが証拠に、豆腐には楽々作用した。素敵滅法界に繁殖し、苗床をみるみる喰い荒らし、原型のないドロドロに溶けた物体に
(なんと)
この眺めには沢村も、改めて舌を巻く思いであった。こうまで激しくタンパク質を分解するか、さても強力な酵素かな、と――。
(Wikipediaより、沢村真)
一通りの実験を終え沢村は、
――納豆を分析して見ると多量のペプトン、アミノ酸が出来て居る、此のペプトンは細菌が大豆の蛋白質を分解して生じたものである。
――納豆菌の酵素は頗る強盛で、殊に豆の蛋白質に対して作用することが強い、されば本邦人の如く、豆類より多くの蛋白質の養分を採るものは、納豆を毎日食へば消化を助け、栄養を増す効が少くあるまいと思ふ。
と、如何にも「納豆博士」の異名に恥じぬ提言をしてくれている。
実際問題、沢村真の納豆知識はひとり生理学的分野に限らず、文化の面でも充実していて、
「昔は寺から檀家に贈る歳暮や年玉には大抵納豆を使った。蓋し昔の坊さんは一切肉食をせず、其代用として主に豆類から蛋白質を摂り、精力の消耗を補ったので、豆の料理が寺では大いに発達したのである。座禅豆の如きも其一つである。
――ところが今日では坊さんの方が余計肉を食って、俗人の方が却って精進物を食ふやうになったから、納豆の製造も俗人がやってゐる」
折に触れてはこんな具合に、軽妙洒脱にやってのけたものだった。
よほど好きだったのだろう。
好きな相手のことは何でも知りたくなるというではないか。その対象は、なにも人間でなくていい。それが自由というものだ。たまらぬ自由の味だった。
他にもいる。
見返りを半ば度外視し、自分の好む対象をとことんまで突き詰める自由精神の所有者は、だ。
沢村真と同時期に、北川文男というやつが居た。
近江の産、東京帝国大学出身、医学の分野で学位持ち。世間的な知名度はおよそ天地の開きだが、情熱はまんざら引けを取らない。
この北川は、色素に興味を持っていた。
(東大赤門)
白なり黒なり黄色なり、人間の皮膚を色付けしているなにものかの正体を闡明したいと念願し、そのために東京中の理髪店を駆けずり回って――「毛髪も皮膚の一部分であって、同じく角質から成る。爪も皮膚の一部分で、矢張り角質から出来て居る。故に爪や毛髪に就て研究すれば、色素の本体が分かる訳である」――集めたりも集めたり、三貫分ものヒトの髪の毛を手に入れた。
身近な単位に変換すると、11.25㎏に当たる。
この膨大な繊維質を利用して、北川文男は真理の扉をこじ開けんと試みた。
何を措いても、まずは洗浄からである。「石鹸や
再び単位に言及すると、十匁は37.5gという。十匁筒といって、戦国時代の火縄銃の弾丸が丁度これぐらいの重量である。
(Wikipediaより、侍筒こと十匁筒)
11.25㎏から37.5g――。
比率にして、実に300対1だ。
まさに精髄といっていい。
この「精髄」を北川は、むろんさっそく顕微鏡にかけ、思いつく限りの角度より観察したものだった。
それでなにごとが判明したか。
実に面白いことがわかったという。
「斯くて取り出した毛の色素を、顕微鏡下に照らして見ると、其一粒々々が皆黄金色に見える。色素の分量の多くなるに随って、褐色ともなり、黒色ともなる。西洋人の頭髪が黄金色を帯ぶるのは、色素の分量が少いからであり、日本人の頭髪が漆の様に黒いのは、色素が多量に含まれて居るからである。而して色素其者の成分は何れも同じで、黒髪といひ、金髪といふも、そは唯色素の多少に因るのであって、何等此外に特別の原因があるのではない」
「皮膚の変形なる毛髪の色が、さうして出来たものである以上は、毛髪と同じ質なる皮膚の色も自然説明される。即ち白色人種は、皮膚の色素の少量なるに因り色が白く、黒色人種は多量の色素を含有するから、色が黒いので、又皮下の血管や皮膚の角質の具合で、日本人のやうな黄色にもなるのである」
「人種の差別は色のみには由らない。骨格其他に於ても異なる所があるが、単に色だけで言へば其色素は本来同じ質のものなので之に優劣高下の別ある筈がない」
(岡本帰一 「サンパツ」)
常識だ。
現代人なら義務教育の過程に於いて必ず習う、ごくありきたりな知識であるに違いない。
しかし大正の御代にあっては、寝耳に水といっていい、大新発見だったのだろう。でなくば北川の喜びようが説明できない。この大正男は無邪気にも、
――人類初の快挙だぞ。
とまで言い切り、弓張月さながらに、めいっぱい胸を反らしているのだ。
「従来西洋でも人間の毛髪の色素を純粋に取り出した学者は無かった。随って皮膚の色に就ても根本的には分らなかったのである。私の取り出した純粋な色素の成分は、炭素、酸素、水素、窒素、硫黄から成るもので、如何にしても溶けた状態にはなり得ぬ、即ち膠質性のものである」
以上が彼の言い分だった。
メラニン色素の研究史には疎いゆえ、北川の言を裏付けることは出来ないが。もし
キャタピラないしレーダーあたりの「前科」をみるに、大いに有り得そうなのが、蓋し頭痛の種だった。
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