日本に於けるマゴットセラピーの濫觴は、実は二〇〇四年にあらずして、一九四五年にまで遡り得る。
そう、大東亜戦争末期のころだ。
亀谷敬三医学博士が機銃掃射を浴びた患者の治療に用いて、めざましい成果を挙げている。
(Wikipediaより、P-51Bへの弾薬補充作業)
このことは、当時の新聞にも載った。
日附は六月十二日。一面を飾るような華々しさとは無縁だが、内容はさすが医者だけあって実際的な知識のみで埋められて、半狂乱の精神主義的傾向を少しも含んでいない点、記事の質はすこぶる高い。
亀谷はこう書いたのだ。
被害者にP51グラマン戦闘機の攻撃法を聞くと、田圃の中に一人ゐても人と見たら執拗に攻撃を加へてくる、船員などの場合は体を物かげにかくし、脚だけ出してゐたら脚を狙ったといってゐる、兎に角人間なら見逃さず出てゐるところをうち込むから被害者には手足の傷が多い、(中略)馬鹿にできないのは待避の際慌てて壕の入り口などで頭や胸をうつ怪我である。
銃撃被創の治療については半数が骨折に関係あり、出血が多量であるから附添には必ず同血液型の人が来てほしい、体内の傷は弾丸が被服と共に入るため被服に附着してゐた黴菌で全部化膿し、容易に癒り難い、そこで化膿した部分を削除するため蛆をわかせ蛆に化膿した部分を食はせる治療法をとった結果は良好で普通の治療法より遥かに癒りが早かった。
「窮すれば通ず」は本当だった。どれほど絶望的な状況下でも、有益な発見は成されるものであるらしい。
(Wikipediaより、飛行するP-51D)
…にしても、だ。亀谷敬三医学博士は、どこからこういう発想の
その部分が少々気になる。まさか完全な独創でもないだろう。何かしら起点になった知識・情報があるはずだ。
マゴットセラピーの歴史は古く、それこそ数千年前の原始未開時代から、オーストラリアの先住民族――アボリジニの間に於いて行われていた形跡がある。
濠洲、つまりは南洋か。昭和十年代半ばから、南進論に煽られて、あのあたりの地理・歴史・文化・風俗等々を記した本がずいぶんと
亀谷先生、あるいは太平洋協会の著作物でも読み漁っていたのでないか。
(わが書棚。手前三冊が太平洋協会の本)
勝手な想像に過ぎないが、あれこれ背景を考えるのはそのこと自体が脳にとって有益だ。重量を増し、皴を深くし、老化を防ぐ効がある。先人よ、どうか御寛恕召されたし。
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