穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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町工場の神頼み ―「科学と霊魂の興味ある一致」―


 工場ではよく人が死ぬ。


 電気を貪り喰らいつつ、ひっきりなしに駆動する金属の森の只中で、有機体はあまりに脆い。


 注意一秒・怪我一生、刹那の油断が命取り。指が飛んだり皮膚が溶けたり、そんなことはしょっちゅうだ。それだから昔の町工場は、よく敷地内に祠を建てた。祠を建てて神酒を供えて両掌りょうてを合わせて勧進し、「良き運命」を呼び込まんと努力した。

 

 

(戦前・花王石鹸工場)

 


 そのころ都下でくすぶる文士に、遠藤節というやつが居る。


「節」一文字で「さだむ」と読ませる。長塚節の影響を、いやが上にも勘繰りたくなる、そういう名前の持ち主が、ネタを求めて東京市の工業地域――蒲田区に足を踏み入れたのは、昭和十四年の秋だった。


 折からの軍需景気によって、一帯は活気づいていた。


 そこで見たもの、聞いたことを基にして、つくりあげた探報記にも、

 


 鉄筋コンクリートの橋の下に、建てたばかりの真新しい地蔵尊がある。ビール箱ほどの可愛い祠の前に、「厄除地蔵尊」と書いた白と赤の幟が立ってゐる。
 だいたいこの工場街ほど神様の多いところもないだらう、どんな小さな工場にも赤い鳥居があり、石の祠がある。科学と霊魂の興味ある一致だ。
 一人の職工服を着た青年が、地蔵尊の前に蹲って掌を合わせた。真面目さうな青年だ。まさか恋愛の成功などを祈ってゐるわけではあるまいから、今日の無事を感謝してゐるのだと見てよいだらう。

 


 このような文脈が確認できる。


 えもいえず床しき光景だ。きっと時刻は夕刻だろう。太陽はつるべ落としに落ちきってしまう瀬戸際で、影法師は長く伸び――想像するだに、こう、しんみりと、胸に迫るものがある。信仰はこれぐらいさりげなく生活景色に溶け込んだ、素朴であるのが望ましい。

 

 

 


 ……ああ、だが、しかし、やんぬるかな。「東京」の「工業地域」である以上、やがて来たる大空襲を、この蒲田区が逃れられる筈もなく。


 徹底的に爆撃されたに違いない。夥しい祠の群れも、悉皆烏有に帰したろう。


 稲荷も地蔵も産土神も、B29の投下するナパーム弾には敵わない。


 どれほど水をぶっかけようが、委細構わず燃え盛る。バケツリレーなぞまるきり無力、蟷螂の斧が関の山。ナパームとはそうしたもの。さしもの祖霊もこの情景に直面すれば、


 ――すわ、地獄の焔の顕現か。


 と、大いに恐れ、おののいたのではなかろうか。

 

 

 

 

 


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