明治十二年八月というから、ざっと百四十年溯った今日あたり。
埼玉県北足立郡新郷村が、にわかに爆ぜた。目を怒らせた住民どもが竹槍を手に筵旗を押し立てて――つまりは伝統的な百姓一揆の作法にのっとり、鬨の声を上げながら、警官隊と一大衝突を演じたのである。
(埼玉県志木町の市場)
「馬鹿馬鹿しくてお話にもならない騒動ですよ」
東京日日新聞浦和支局長、北条清一の取材に対し、苦笑交じりに返答したのは押田庄之助なる白髪あたまの大じじい。安政二年に産声を上げ、以来七十九年間、土地に寄り添い生きてきた。その経歴には新郷村の村長職も含まれるから、まず長老株といっていい。
コレラ一揆にもむろんのこと際会し、そのとき彼は二十五歳の若者だった。
名前が示すそのままに、発端は疫病の流行である。
油屋のご隠居がまず死んだ。
これはコレラに因るものではなく、単に寿命が尽きての大往生であったらしい。しめやかに法事が営まれて、しかしながらその席でふるまわれた馳走というのがまずかった。
暑さで傷んでいたのだろうか、とにかくコレラ菌の温床と化していたのは確かなようで。その料理番と近所や親戚の人々が、相次いで発症しはじめた。
そこから先は、ドミノ倒しも同然である。
「きのふ担がれてゆく病人を見てゐた人が、けふは担がれてゆくといふ有様で、県からの防疫官が何人も出動し、草加警察からは脚絆わらぢがけの署長さん以下何十人もの警官が来る。そして傑伝寺を本部に、患者の治療と防疫にあたった物々しさ。健康なものも缶詰になり、家といふ家は縄張りして、一歩も出ることが出来なかった。様子が少しでも変だと、どんどん連れてゆかれる。患者の収容所は全棟寺で、毎日二人、三人づつバタバタ死んで行く。全棟寺裏山では大穴を掘って患者を出した家の家財道具を焼き、燻ってゐる煙が絶えず立ち上って、今思ひ出すだにぞッとしますよ」(『武州このごろ記』174~175頁)
(武蔵野の桑畑)
八十間際の老体にも拘らず、押田庄之助の語り口は明晰だった。
物事の順序も整然として、いささかの矛盾撞着もみられない。田舎の葦のあいだには、ときにこういう人物がいる。
――そのうちに妙な噂が流れはじめた。
と、追憶はいよいよ事態の中核、蜂起の瞬間へと近付いてゆく。喋るにつれて当時の悲嘆・恐怖の念が身の裡によみがえって来たのであろう、老人の面上には鬼気さえ浮かび、記者の血の気をときに奪った。
「何でもコレラに事よせ、警察では矢鱈に民家の家財道具を持ち出して焼いてしまふ。病人もまだ息のあるものを埋めてしまふ。のみならず、匂ひのきつい薬や白い毒薬を家の中といはず外といはず、井戸の中まで撒き散らしてゆく。村のものを皆殺しにするのだ、警察官は我々の敵だ、殺されない中に警察官をやっつけてしまへ、防疫本部とかいふ傑伝寺も焼打ちしろ、といふのだった」(175頁)
「馬鹿馬鹿しくてお話にもならない」という押田翁の前置きは、謙遜でもなんでもなく、確かに的を射ていたようだ。
一連の下りを読む限り、どうも村人たちの頭の中は、十余年前から半歩も進まず江戸時代に留まり続けていたらしい。斯様な
警官隊は緊張した。
(大正末期の武蔵野台地)
「集合場所の峰八幡に筵旗を押立てて集ったもの約二、三百。手に手に竹槍を持って警察官と対峙すること二日一晩、篝火を焚きわめきをあげ、喊声をあげる。家の中にゐても、夜の静けさの遠くから聞えたものですよ。
その時の怪我人は、ちょいと思ひ出せませんが、こちらは百姓の集まり、忽ち警官隊に蹴散らされ、間もなく首謀者の検挙がはじまり、峰外二字の主立った区民が続々草加に挙げられ、気の毒に獄舎へ投げ込まれるものもあった。今考へて見ると、匂ひのきつい薬といふのは石炭酸水、白い毒薬といふのは石灰だったンで、患者の生埋めなんてことも飛んだ誤解で、要するに流言蜚語から起った騒動でしたよ」(175~176頁)
ここに真理がある。
見えない敵を相手にする都合上、疫病との戦いは流言蜚語を極めて発生させやすい。そのことは、昨今コロナ禍をとりまいた大小さまざまな騒動で、十二分に証明されたことだろう。
そういう観点からすれば、この事件――明治十二年のコレラ一揆が現代を写す鏡のようにも見えてくる。
「現代を写す鏡」といえば、蛇足を承知で付け加えたいモノがある。
相次ぐ無謀な山行と、その必然の結果たる遭難事故に関連し、秩父自動車取締役・磯田正剛が発言した内容だ。
「私は、万一の場合を考慮して、先年警察側と連絡をとって登山口の各店舗の前へ、登山者の姓名、通過コース、日時を書いてくれるやうに掲示したことがありますが、厄介がってなかなか実行出来なかった」(266頁)
昭和十年以前から、登山届は日本に存在していたらしい。
さりとて当の登山者はこれを面倒くさがって、提出が捗らなかったというあたり、いよいよ現代そのままだ。
人間というのはなんとまあ、今も昔も似たり寄ったりな懊悩に
一種遼遠な気さえする。
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