『雄弁と文章』『新雄弁道』『勧誘と処世』『交渉応対 座談術』――。
神保町を駈けずり廻り、
甚だしく日焼けして甘い香りすら仄かに漂うページを捲り、ざっと通読した限り。どの「流派」にも等しく伝わる「鉄則」の如きものがある。
濫りに外語を使うんじゃない、ということだ。
日本人を相手にするなら、ちゃんと日本語で、滞りなく意味が浸透するよう話せ。耳慣れぬ横文字を滅多矢鱈に振り回されて、それで誰が気持ちいい? 喋っている当人は、まあ、てめえの語学力の高さ――それも大抵、錯覚でしかないのだが――を思う存分アピールできて自己陶酔にも耽れるだろうが、客はただただ置いてけぼりを食うだけだ。
どうしようもなく場はシラけ、次に控える弁者たちにも迷惑は等しく降りかかる。
堪ったものではないだろう。満員電車にシラミだらけの格好で乗り込まれるにやや近い。だから伊藤痴遊の如き、
「学者とか、思想家とか、いはれる人達は、よく英語などを使ふが、この位不心得な事はない。而も、さういふ者に限って、同時に訳をつける。即ち一つ事を二度云ふわけになって、愚もまた甚だしい、と云ふべきである。
これは、英語が出来る、といふ事を、衒ふものである。それなら全部、英語でやるのがよいではないか。日本語の話の中に、英語を使って、それに訳をつけるなら、始めから訳語で云ふがよい。
勿論、事柄によっては、外国語を用ひなければ、都合の悪い場合もあらうが、さういふ場合の外に、無闇に、外国語を使ふ事は、誠に厭味のあるものである」
こんな具合いに、言葉を飾らず、辟易も露わに言ってのけたものだった。
いったい当時の「一流どころ」の人々は、国語に臨むに真剣なこと、息を忘れるほどである。
(Wikipediaより、伊藤痴遊)
鶴見祐輔は「言葉は霊だ」と喝破した。
「同じ言葉を使ってゐる人間と人間とすら、本当に了解し合ってゐないのだ。ましてや、風俗習慣を異にする外国人の言葉が、我々に解らうやうはない。言葉は器械ではない。言葉は霊だ」
と、この国際派の自由主義者が、実に意外なことを説く。
おそらくはエマーソンの影響だろう。かの「コンコードの聖人」も、その箴言に
「国民の精神はその国語に伝わる。国語は民族の記念碑である」
このような一句を収めたものだ。
米沢市名誉市民第一号、建築家にして文化勲章受章者の、伊東忠太も類似のことを述べている。「国語は国民思想の交換、連結、結合の機関で、国民の神聖なる徽章でもあり、至宝でもある。不足な点は適当に外語を以て補充するのは差し支へないが、ゆゑなく旧来の成語を捨て外国語を濫用するのは、即ち自らおのれを侮辱するもので、以ての外の妄挙である」と。
靖国神社遊就館や明治神宮、築地本願寺の設計は、こういう精神のうねりの中から浮上してきたものだった。
福澤諭吉は頼山陽を評するに、その才覚を全面的に認めつつ、しかしながらただ一点、
「頼山陽が色々の書物を集めて日本外史を綴りたるは甚だよし。しかるに右の引書は大概仮名文なるに、業に之を漢文に翻訳したるは何故なる哉。唐人計りに日本の歴史を見せる積り歟、又は己が漢学の上手を人に自慢する積り歟。何分日本人の為めに漢文は不便利なり。兎角儒者には此癖多く、
急所に向けて毒針をぐりぐり捩じり込むような、痛棒を食らわせるのを忘れなかった。
日本で最初に演説をやった――更に言うなら日本社会に「演説」の概念を新たに加えた人物は、よくその
(頼山陽旧家)
田中館秀三に至ってはバルト三国を激賞している。
そう、バルト三国――エストニア、ラトヴィア、リトアニア。第一次世界大戦終結後、ロシア革命を奇貨として、宿望たる「独立」を遂げた北欧の国。これらの地域で特筆すべき思想上の傾向は、「実に愛国主義、尚武主義」であるのだと。
国民精神作興のため、嘗ての世では公用語として認められてすらいなかった母国語復権目指して取り組み、努力すること尋常一様でないのだと、感激に筆をふるわせながら書き綴ってくれている。
「三箇国を通じて著しいのは、国語、国字問題である。ロシア帝国時代には各民族固有の言葉を公語として認められることさへできなかった。
そこでこの問題は、バルト諸国の国民精神の作興を意味し、何れの国も『祖国のために』のスローガンをもって、国語国字の純化を叫んでゐる」
「リガで市内電車の停留所掲示の町名は露、独及びラトヴィアの三箇国語で書かれてあったのを、ラトヴィア語だけに改めた。ところが都会在住者の多数は、それだけで要領を得ないから、結果として町名掲示板を撤去したのと同じことになってしまった。しかし暫時の不便は国語国字といふ重大問題の前には忍ばねばならぬとされる」
上記を以って「他山の石」とせんとした、そういう田中館秀三が、ハングルだの簡体字だのが氾濫し、駅の電光掲示板にすら侵入を許した現代日本社会のザマを目の当たりにしたならば、果たしてどれほど憤慨するか。
(Wikipediaより、ラトヴィア首都リガ)
怒髪天を衝かんばかりに違いない。いとも容易く想像のつくことである。ニヒリスティックなルーマニアの文筆家、エミール・シオランが示した通り、『国語』こそがヒトの『祖国』であるなら、祖国防衛の大任のため、我々はもっと慎重に、注意深くなるべきだ。
それでこそ先人に面目も立つ。戦争は平時にも進行すると、「平和戦」の所在を暴き、油断するなと掻き口説いた先人に――。
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