穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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原風景にダイブして


 米こそ五穀の王である。

 

 

 


 その専制は絶対で、他の穀物が如何に徒党を組もうとも、崩すことは叶うまい。


 少なくとも、日本に於いては確実に。

 


「日本という国は藁が本当にいろいろのものに使われている。頭のてっぺんから足の先まで藁で包まれ、家の中まで藁に包まれております。けれども稗柄というものはそういうわけにはゆきません。そういう点にも稗がすたれていった大きな原因があります」

 


 民俗学者宮本常一の意見であった。

 

 

Miyamoto Tsuneichi

Wikipediaより、宮本常一

 


 なにゆえ稗は稲ほどの勢威を得られなかったのか論じた稿の一節である。ときに履物、ときには衣類、ときには肥料。食うことのみが稲の用途の全部にあらず、なんともはや幅広く、日本人の生活に絡みついたものである。斯くも偉大な応用性が、稗の茎には欠けていた。だから稗は稲ほどの勢威をついに得られなく、稲は五穀の王として永く君臨するを得た。そのように論が伸びてゆく。

 

 

 

 


 その昔、浅草雷門前にては「蓑市」というのが立っていた。


 毎年二回、春と冬。三月十九日と十二月十九日を選び。近在の百姓農夫らが手ずから編んで拵えた蓑だの笠だの稲わら素材の製品類を持ち来たり、それはそれは賑やかな商取引を行っていたものらしい。

 

 

 

 


 江戸期以来の恒例だったが、維新後は順次下火に向かい、「近年は農家の雨中耕作に出る時着用する位にて、府下にては蓑を着るもの極めて稀なれば出荷も少なかるべし」――衰滅寸前の憐れさが、明治二十二年十二月十九日付の毎日新聞紙によって報道されてしまってる。

 

 

 

 

 


「日本の原風景」として真っ先に名を挙げられる白川郷を歩きつつ、脳内に自然乱舞したのは、そうした知識の数々だった。

 

 

 

 

 

 空はどこまでも濃く、蒼く。雲ひとつなく、遥かに高く澄んでいた。

 

 

 

 

 


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