穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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竹、甘い竹 ― Tabaschir あるいは Tabasheer ―


 ある種の竹はその節に、甘味を蓄積するらしい。


 本多静六が書いている。


 この筆まめな林学士、日本に於ける「公園の父」とも渾名される人物は、人生のどこかで台湾を、――それも高雄や基隆の如き都市部に限らず草深い地方をも歩き、その生活を字面通り支えるに、竹材がどれほど寄与しているかを目の当たりにして、俄然この被子植物に興味を持った。


 彼の起こした感興たるやどれほどか、

 


「竹の柱に竹の屋根、竹の寝台に竹の壁、椅子も机も桶も杓子も竹ならざるはなく、陸を行くにも竹の輿、海を行くにも竹筏、川には竹の橋を架し、家には竹の林を繞らし、飯を炊くにも竹を焚き、酒を買ふにも竹の筒で、竹がなければ一日も生活することは出来ないほどである」

 


 いまにも手足を舞わせんばかりの、はずむようなこの文体に、くっきり浮き彫りになっている。

 

 

Honda Seiroku

Wikipediaより、本多静六

 


 そろそろ話頭を竹の甘味に引き戻す。


 これについては竹内叔雄の随筆にも確認できない。


「竹博士」のお株さえ、ともすれば奪いかねないような本多静六の博覧強記ぶりだった。

 

 曰く、

 


 熱帯産の数種の竹類中には、節間中に清澄な甘味の液を含有して、旅人の渇を医するものがある。其味砂糖に似て居るので竹砂糖と云ひ、約八十六%の珪酸を含有する。インド地方では古来之を貴重なる医薬とし、殊に発汗剤として用ゐた。其後近隣諸国に輸出せられ、ペルシャ人は之を「樹皮の乳汁」と称し、アラビアでは古来 Tabaschir と称し、今猶アジア南部に於ける貴重薬として貿易品の一となって居る。

 


 実際嚥下したならばどんな刺戟が来るものか、ちょっと試してみたくなる。舌で、喉で、はらわたで、賞味したい代物だ。


 ココナッツシュガーが市民権を得たように、竹砂糖もいつの日か、日本の食卓に珍しくなくなる、そんな展開があるのだろうか?


 せいぜい期待しておこう。

 

 

 


 ――先日の記事を書くついで、大正・昭和の林学士どもの書いたものをあれやこれやと漁ったが、想像以上に個性的なメンツが多く、得るところが多かった。


 上の噺も、その「得たもの」のうちの一つに含まれる。


 他に印象的だったのは、

 


「日本に於ける山林植物の種類は三百種の多きに達し、西洋のそれに殆んど十倍する。山林植物と水産物とを以てならば、優に欧米諸国と競争が出来ると思ふ。吾々は海国男子であると同時に山国男子である

 


 志賀泰山のこの喝破であったろう。


 名の雄大さに遜色ない、いい気を吐くと思ったものだ。


 四方八方ぜんぶ山、宛然一個の盆に等しき地形で育った筆者わたしには、特に応える部分があった。ああ、そうだ、おれは山国男子だったのだ。……

 

 

 


 今年もきっと、山梨は暑くなるだろう。


 野良に響くラジオの音、ノイズ混じりの放送を、束の間耳底に聴いた気がした。

 

 

 

 

 


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