無性に神田に行きたくなった。
一枚の写真が
これが即ちその「一枚」だ。
いちばん手前の屋号に注目して欲しい。
右から左へ、流れるような草書の文字は、「大雲堂書店」と読める。
ある種のビブリオマニアなら、この時点でもうピンと来るに違いない。この看板を掲げた店は、令和五年現在も絶賛営業中ゆえに。
そう、この写真は今からおよそ一世紀前、「昭和」の御代が明け初めて未だ間もない時分の折の神保町を撮影したものなのだ。
否でも応でも胸が高鳴る血が騒ぐ。
そういうわけで行ってきた。
これが最近の大雲堂。
筆者が『生田春月全集』と運命的な邂逅を遂げ、古書の世界にますます深入りしていったのも、思えば明治二十六年創業の、この店に於いてこそだった。
あれに劣らぬ良き出逢いを求めつつ、しばし通りをうろつきまわる。
パチンコ店の潰れた後に古本屋が入るなど、如何にも神保町に相応しい景色であったろう。
当日最大の収穫は、この「@ワンダーJG」にこそ待っていた。
雑誌『雄弁』第三十巻、昭和十四年十二月一日発行――。
記録に依れば昭和四年末の時点で日本の雑誌の総数は、六百十二種に及んだそうだ。
うちのいったい何割が、十年持たずに消えたのか。
正確な数は不明だが、まず九割は固かろう。でなくば「三号雑誌」などいう俗語が、流行するわけがない。創刊から廃刊までわずか三号のスピーディーさが生起せしめた言葉であった。
(戦前の雑誌売り場)
炭酸水の泡みたく、次から次へと生まれては、片っ端から消えてゆく。
出版業は目まぐるしきかな。それもこれも、日本人の読書熱が旺盛なればこそだろう。
とまれ『雄弁』三十巻で、私はずっと未知だった、稲原勝治の面構えを漸く見ることができた。「対談」という形式で、開幕間もない第二次世界大戦の情勢分析をやっている。
『雄弁』はいい人選をしてくれた。
(稲原勝治)
本書の値段はポッキリ千円。野口英世一枚を手放す価値は十分にある。躊躇なく財布の紐を緩めにかかった。自己の判断の正当性を、今以って私は疑わぬ。
折角ここまで来た以上、靖国にも参拝しよう。
九段下で地下鉄を出た。
東京メトロの入り口も、九十年を間に挟んで随分な変わりようである。
ときに昭和十二年、『東京日日新聞』は緒に就きだした地下鉄事業を占うに、
…浅草から新橋まで約五マイルの地下工事は実に十ヶ年の
このような――つまりはかなり前向きな――記事を以ってした。
これを書いたやつ、校正したやつ、活字を拾って組んだやつ、全員に現代の東京の地下鉄網を見せてやりたい。蜘蛛の巣みたく入り組んだ、あの路線図を突き付けて、表情がどう
……ちょっと下卑た興味だろうか?
私も所詮人畜生、俗界を蠢く一肉塊。
その性根には抗えぬ。
大鳥居が見えてきた。
境内の対照を試みる。
こちらはそれほど甚だしい差異はない。
過ぎし世の面影を伝えるのは、やはり神社仏閣の役割なのだ。
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