ヨーロッパの紳士たちにとって、決闘こそが問題の最終的解決法だった時代があった。
それもそう遠い昔の話ではない。帝政ドイツの立役者、鉄血宰相ビスマルクでさえ、若輩の時分はそれをやった。ほとんど日常的にした。この男のゲッティンゲン大学在籍時に於ける振舞いなど、ものを学びに来ているのか、それとも人を殴るために大学の門を潜っているのか、判別し難いほどである。
授業には一つも出ず、毎日喧嘩をふっかけて歩き、決闘に及ぶこと28回、学期中の大部分を大学付属の牢屋の中で過ごしたという伝説は此処で生まれた。
イギリスも決して負けてはいない。一説によれば1760年から1820年までの60年間にかけて、この島国で公然判明した決闘事件は170件強、そのうち一方の死で決着したのが71件、しかしながら有罪判決を受けたのは僅か3件を出でず、残りは悉く無罪放免となっている。
イギリスは陪審員制発祥の地だ。
しかも評決には、12人の陪審員全員の意見が一致しなければならない。
つまり無作為に選ばれた一般市民が、まず九分九厘、相手を殺して勝者になった決闘者を罪無しと認めていたのである。
決闘に於ける殺人は――それが「公平な決闘」であるならば――単なる殺人と一線を画す。欧州の天地に、そんな共通観念が確かに成立していたと、これら数字はよく証明してくれるだろう。
この件に関して英国には、更に興味深い話がある。フレッチャー卿なる判事が、やはり決闘による殺人事件を取り扱ったときのことだ。陪審員の多くは法律の素人であるため、判事は刑事裁判のルールをわかりやすく説明する義務を負う。
これを説示と云うのだが、このときフレッチャー卿が行った説示ときたら、秀逸としか言い様がない。
「陪審員諸君、法律の運用解釈を諸君に告げるのは、私の任務である。その任務に基いて私は諸君に告げるのだが、法律は決闘によって人が人を殺した場合に、それを殺人罪と規定している。しかし諸君、これと同時に、私は断言するが、本件の決闘は実に立派なものだ。かつて聞いたことのないほど、堂々たるものだ。この点を特に
「空気を読む」という習慣が、独り日本に於いてのみ通用する特殊作用でないことは、これを一読するだけで明瞭たろう。むろん、陪審員たちは即座に無罪の答申をした。
この説示は判事の名から「フレッチャー説示」と通称されることとなり、長らく決闘殺人を扱う上での模範とされたそうである。
『ジョジョの奇妙な冒険』第七部、『スティール・ボール・ラン』に於いても第二話で、ジャイロ・ツェペリが公然スリを殺害しているが、一部始終を目撃した保安官は、
なんてことないただの「決闘」だ
別に法に触れてるところはなにもない……行かせろ
お互い納得ずくの……「決闘」
乾いた瞳を向けるのみで、逮捕も何もしなかった。
現代の感覚からすれば異様だが、あれは実に時代的背景に即した描写といっていい。
これ以外にも、『ジョジョ』では至る所で「公平さ」に拘る描写が見受けられる。やはり七部の、リンゴォ・ロードアゲインなどはその精神の権化のような男であろう。
私はシリーズを通して、第七部がいちばん好きだ。
是非あそこまでアニメ化してもらいたい。
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