穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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小作争議の内幕 ―ストライキを美化するなかれ―

 

 

 ――何事でも、その内幕を知ってゐると、それに対する信用が半減される。

 


『知らねばならぬ 今日の重要知識』の序文にて、志賀哲郎はいみじくも言った。


 蓋し至言といっていい。


 例えばこの私にも、「小作争議」を弱者の必死の抵抗と、追い詰められ、虐め抜かれた挙句の果てに立ち上がるのを余儀なくされた、さても健気な行為だと、そのように認識していた時分があった。


 が、歳を経て、古書を読み解き、詳細な手法を知るにつれ、そのような甘い考えは木っ端微塵に粉砕された。地主も大概だが、小作人も同様に、否、下手をすれば地主以上にろくでもない。


 なんといってもこの連中は、平気で暴力に訴える。闇討ちを辞さないどころか好き好んで多用する。それも同じ境遇の、小作人に対してである。

 

 

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(『Ghost of Tsushima』より)

 


 順を追って説明しよう。

 

 争議を起こされ、耕すものが失せた田畑を、ただいたずらに手を拱いて荒れるに任せ、呆然と眺めているほどに、地主というのは無能ではない。


 ――今までのが使い物にならなくなった? ああそうか、それじゃあ他所から補おう。


 幸か不幸か、貧乏人の子沢山。労働力はそこいらじゅうの村里集落にタブついている。代わりを探すにワケはないのだ。


 で、うまく話がまとまって、新たな小作がやって来る。


 争議中の小作にとって、これほど目障りな存在はない。あの手この手でその働きを妨害し、元の巣穴に逃げ戻るよう差し向ける。夜中迂闊に一人歩きをしようものなら闇討ちされて袋叩きの目に遭うし、せっかく田圃に水を張っても勝手に落とされ、植付の時期を逃すのはザラ。


 耕し終えてドロドロになった田の中へ、針をどっさりバラ撒かれる事例もあった。


 むろん、危なっかしくてとても入れたものでない。


 泣く泣く田圃を埋め立てて、果樹を植えても今度はそれを引っこ抜かれる。


 同じ小作の身であるだけに、何をどうすれば努力が徒労に帰するのか、よく心得ているわけだ。

 


 ――階級闘争といひながら、同階級の労働者に一番迷惑をかけて、何が階級闘争

 


 杉村楚人冠の啖呵が耳の奥で木霊する。

 

 

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九十九里平野横芝町付近の沼田)

 


 子供を積極的に利用するに至っては目も当てられない。


 争議の間、小作人の子供らは学校に行くのを親から禁じられるのだ。このようにして校長あたりを焦らしめ、仲介の労に当たらせるのが目的である。出席歩合が低下すれば教員の評価にも響く以上、彼らも必死だ。それを狙う。


 子供の未来、可能性に傷が付こうと一向構わぬ、なに必要経費の類よと平気の平左で澄ましていられる精神性は、現代の左翼活動家にも相通ずるところがあって、それだけでもう小作側への同情が失せる。


 ああ、上野陽一は正しかった。

 


 もっと月給をくれないと、働かネエゾというのが、ストライキである。ストライキまでもっていかなければならなくなるのは、頭のわるいためか、根性がわるいためか、でなければ若者のワイワイ気分のためか、いずれにしても、ホメタはなしではない。(昭和二十八年『一日一話 能率365日』127頁)

 

 

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(長野県青木湖畔の村落)

 


 今でもときどき、学生運動に参加した過去を誇らしげに語る年配者に出くわすが、冗談ではない。辟易のあまり、その手柄顔に味噌汁でも浴びせかけてやりたくなるのだ。


 彼らには是非、日本能率学の父の言葉を骨に徹るまで味わって欲しい。

 

 

 

 

 


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