「野間の相手は疲れる」との評判だった。
この「雑誌王」と碁盤を挟むと、とにかく猛然と攻め立ててくる。外交交渉も準備工作もありゃしない。開幕早々、まっしぐらに石をぶつけて、火を噴くような大殺陣に否応なしにもつれ込む。
王よりも、単騎駆けの武者といった打ち筋だろう。
おまけにその鋭鋒は、ちっとも緩む気配がないのだ。
何十目の大差がつこうが、頑として攻めの姿勢を崩さない。終局までその調子で通しきる。
ために相手を務める身としては、技巧以前にまずその気迫に圧倒される思いがし、
「『キング』があれほど面白い理由がわかった」
そう嘯いた者もいる。
ダイヤモンド社々長、石山賢吉その人である。
彼は野間を一口に、
「百二十パーセントの人だ」
と評し、
「よい雑誌を作っても、尚ほ其の上によい雑誌を作らうとする。何処まで行っても、満足しないのが、野間氏の雑誌経営法である。それだから、雑誌の出来栄えもいゝ。同じ雑誌を作っても、よそのと違ふ」
分厚い胸板の奥に流れる、飽くなき貪婪さを喝破している。(昭和十二年『事業と其人の型』52頁)
なお、対局自体は石山の一方的な敗北に終わった。
(野間清治)
この逸話に触れたとき、私の海馬は電極でもぶっ刺されでもしたかの如く激しく震え、突発的に古い記憶をよみがえらせた。
漫画版『バトル・ロワイアル』にまつわる記憶だ。
十二巻の巻末に、山口貴由の寄稿があった。
藤木源之助みたような桐山和雄の肖像を添え、『シグルイ』の作者はその内心を、斯くの如くにぶちまけている。
少年誌で出会った頃の僕と田口雅之氏の作風は、とてもよく似ていたと思う。
ボクサーに例えるなら、ゴングと同時に飛び出していきなり強い右、避けられたらもう一度右、スタミナ配分なんて関係ない、痛い目に遇うのは勲章のようなもの……。
しかし、わが良き友は蛮勇に留まってはいなかった。
『バトル・ロワイヤル』を前にして僕は戦慄する。
右を放つ前に、目で揺さぶりをかけ、強弱を織り交ぜた左を打ち分けてくる。
鮮やかに見開きを極めるための手順を知り尽くしているし、根気のいるその作業を決して省略しない。
野良犬の僕は訓練された猟犬に喉笛を噛みちぎられた。
自分を殺してくれるのはいつもどこかの他人ではなく、一番近くにいる友人なのだ。
これは『バトル・ロワイアル』の販促というより、より濃厚に山口貴由が何者であるかを物語っているだろう。
こんな漫画家がいるのかと、目を洗われる思いがした。
やがて『シグルイ』を手に取る動機の一つとして、このとき受けた衝撃があるのは疑いがない。
正気にては大業ならず、武士道はシグルイなり。
そういえば石山賢吉も、
「成功者は一面から見れば気狂いである。気狂いに見へるほど熱意があって初めて事業は成功するのである」
と、容易ならぬ発言をしている。(『事業と其人の型』148頁)
結局のところ、男道とは
どうにも思うように筆が進まず、スランプに陥りがちな今日このごろ、久々に『葉隠』を読み直すのもいいかもしれない。
きっと血液を総入れ替えするような、清々しい気分に浸れるだろう。
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