オランダで日本人が殺された。
明治十八年のことである。
被害者の名は桜田親義、その身上は、一介の観光客にあらずして、留学生ともビジネスマンともまた違う。
公使であった。
現地に於ける外交上の窓口であり、「日本の顔」と称してもあながち誇張にはあたらぬ存在。
そういう公使が胸に一発ズドンとやられて殺害されたわけであるから、これはてっきり巨大な陰謀の一角だとか、抜きがたい人種差別の発露であるとか、いずれにせよ何かしら、壮大な構図を妄想してみたくなる。
ところがどっこい事実に於いてはさにあらず、ただの単なる痴情のもつれ、それ以外のなにものでもなかったから救えない。
実はこの桜田親義なる男、日本に妻を残しての赴任である分際で、己を独身者なりと偽り、現地の令嬢ジーン・ロレットとねんごろになり、桃色遊戯をさんざん堪能するという、「女の敵」の標本のような奴だった。
桜田自身は遊びのつもりだったのだろう。
が、ジーン・ロレットの方はどうもそうではなかったらしい。彼女は桜田が任期を終えて国を離れる、その暁には当然自分も連れ添って、共に日本の土を踏み、彼の地で祝言を挙げるものだとごく自然に考えて、準備を整え、その日が来るのを指折り数えて待っていたのだ。
内心、桜田は冷や汗をかいたのではなかろうか。
(オランダ、ハーグ平和宮)
帰国の日が近づくにつれ、彼は様々な口実を用いてジーンを思いとどまらせようと努力した。ねえ、もう一度よく考えてごらん、これはあまりに冒険に過ぎる、残されるご両親の寂寥ときたらどうだろう、日本の水が繊細な君に適うかどうか、うんぬんかんぬん……。
(なにか、おかしい)
が、説得の節々に漂う気配、なんともいえない歯切れの悪さに、ジーンは却って不信をもった。如何にもこちらを気遣うようなことを言いつつ、この人が腹の奥底で、本当に守りたがっているのはなんだ?
「お願い、私に嘘をつかないで」
詰め寄るジーンに、桜田は窮した。これ以上隠し通すのは、もはやどう見ても不可能だった。
そして幻想の打ち砕かれる刻が来る。
真実を知り、ジーンは狂った。怒り、悲しみ、悩乱し、その極大の感情がやがて殺意に結びつき、白魚の如き指先を銃のトリガーにかけさせた。
桜田は死んだ。
残当としかいいようがない。
遺体は日本へ送られず、そのまま現地のケルクホフラーン墓地に葬られたのは、どういう事情が働いての沙汰事か、これはちょっとわからない。
(Wikipediaより、ケルクホフラーン墓地)
ジーン・ロレットはというと、ほどなく開かれた裁判でつつがなく無罪判決を受け、娑婆に解き放たれている。
一連の経過が報道されるや、なぜかアメリカが湧きたった。大手新聞がこぞってジーンの「壮挙」を讃え、快なりとし、「英断」を下した裁判官をありとあらゆる美辞麗句で褒めそやすのに余念がなかった。
で、結論として、
――わが星条旗の乙女らもオランダ人に後れをとるな。
――傷モノにした女の数を勲章の如く考える、卑劣背徳の醜男子は片っ端から撃ち殺し、罪を天下に鳴らすべし。
過激ともなんともいいようのない、こんな言辞を並べるのだから凄まじい。
銃社会の面目躍如といったところか。
あるいは同時期、米国でも似たような事件が発生し、その公判中であったのも、大きな要因やもしれぬ。
もっともジーン・ロレットと異なって、手を下したのは裏切られた女性本人ではなかったが。
その兄である。
既婚者である事実を隠し、結婚をエサに大事な妹を弄び、挙句の果てに流産までさせておいて謝罪のひとつも口にしないゲス野郎を、兄貴としてはこれ以上、生かしておきたくなかったらしい。
実に真っ当な感性である。
大半のアメリカ人もそう思ったに違いない。妹思い、家族思いの立派な青年ではないか。ヤンキーたるものこうでなくては。たかが人非人の
――奇貨居くべし。
と思ったのではなかろうか。オランダの処置を激賞することにより、間接的に自国の司法に圧力をかける。アングロサクソンの発想として珍しくない、典型的といっていい。
死してなお「卑劣背徳の醜男子」として矢面に立たされる桜田こそ、いい面の皮ではあっただろうが。
もっとも同じ日本人でも彼に対する同情者は稀であり、
――女ひとり言いくるめられずに、なにが公使だ、笑わせる。
目利き違いもいいところだ、外務省にはロクな人物がいないと見える、あんな国辱野郎をかかる顕職に就けるとは――との声こそ大きく、帝都一流の大新聞さえ
「薄情男の桜田は汚名を異国の土に留めたる」
と、遠慮会釈をまったく欠いた痛罵まがいの報道をやってのけた位であって、つまりは結局どこの社会であろうとも、下半身にだらしのない責任逃れの助平野郎は忌み嫌われる運命らしい。
なお、アメリカの事件の方も、最終的には無罪判決が下りている。
世間の歓喜は
Misce stultitiam consiliis brevem, dulce est desipere in loco――「わずかの愚かさを思慮に混ぜよ、ときに理性を失うことも好ましい」。
文明の中にも野蛮さは要る。結構至極なことである。
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