イギリス人は賭博を愛す。
目まぐるしく廻る運命の輪、曖昧化する天国と地獄の境界線、伸るか反るかの過激なスリル。その妙味を愉しめぬような
「あの連中の競馬好きは度を越している。なんといっても、欧州大戦の極端な物資欠乏期でさえ、競走馬に喰わせる秣畑はしっかり確保し、寸土といえど他の目的への転用を許さなかった国民だ」
長きに亘る外務省勤めの過程に於いて、笠間杲雄はそういう景色を幾度となく見た。
(西部戦線にて、命令を待つ英国騎兵)
競馬やサッカー、カードや賽の目の配合にベットするなどまだまだ序の口。たとえば空を見上げては、今月何回雨の日があるか賭けようぜともちかける。
政府がいつ、予算案を上程するかも好んで博奕の対象に具したし、その内訳でもまた賭けた。政治に関心が強い国民性と書いたなら、まあ聞こえはよかろうが。
ある年など、「さる競馬界の名士」とやらが増税案の税率予想に参入し、しかもいちいち的中させて巨万の富を築いてしまい。あまりの精度の高さから機密漏洩の疑惑がもたれ、査問委員会が発足、上へ下への大騒動を巻き起こすに至ってしまった。
最終的には植民大臣の首が吹っ飛び、どうにかケリが着いたという。一応附言しておくが、これは決して、映画や芝居の筋書きではない。「英国官界では近年珍しい大事件だった」と、あくまで現実の沙汰として笠間杲雄は書いている。
賭事の好きな点では、世界の人種中、英国人の右に出づるものはあるまい。英国人にとっては如何なる機会、どんな因縁でも直ちに以て賭けの対象となる。(『東西雑記帳』93頁)
たまらぬ紳士道だった。
この精神は二十一世紀の今日までも脈々として受け継がれ、彼のくにびとはロイヤルベビーの性別、体重、髪の色に至るまで、平気の平左で金を張り、しかもそのことで何らの呵責も感じない。
流石イギリス人だった。これは呆れか、感心か、はたまたその両方がこんがらがったシロモノか。我ながら自分の心が不明瞭だが、とにかく「流石」と言ってやりたい衝動だけは強くある。
「英国」と「競馬」に関しては、こんな珍談も伝わっている。
競馬史上の最大インチキといへば、百年程前の英国で、あっと言はせたものがある。
当時のダービーでは常勝不落と言はれた名馬で「チェルシー」といふのがあった。美事な白馬だったのだが、それをインチキ師が一シーズン後、うまく手を廻して借り切って、ペンキですっかり栗毛に塗りつぶし、別な名をつけてフランスへ送った。そしてパリ附近の競馬場を、之で以てすっかり荒して大穴をあけ、数百万の賞金と馬券の儲けとを取ったのであった。これが国際的な大詐欺として今でも競馬史上に残ってゐる。その他、之に類するレースコース・スウィンドラーが極めて多い。(99~100頁)
どうであろう、否が応でも『銀と金』――福本漫画の大傑作を彷彿とする話でないか。
物語の最終盤、三百億を賭け合った競馬勝負で平井銀二はこう言った。
人間によく似た者がいるように 馬にも瓜ふたつのものがいる
その紛らわしさを利用した いわゆる擦り替えによる八百長騒ぎは
かつて日本でもあったし
本場英国でもあった 珍しくもない……
表沙汰になった事例だけでも 一度や二度じゃないのですから
首尾よく誰にも悟られず 成功した例は その数倍ある……
擦り替えは可能……
チェルシー号の大ペテンは、彼の語りの裏書とはなるまいか。
人間、
その格好の例証ともなるだろう。
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