穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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一高魂 ―昭和三年の破天荒―


 朝陽が昇るや、街にどよめきが広がった。


 波紋のもと・・は、繁華な通りの一店舗。ヨーゼフという独り者が経営している、その入り口の戸の上に、

 

自殺につき閉店す!


 こんな貼紙が押しつけられていたとあっては、そりゃあ騒ぎにもなるだろう。


 最初は皆、冗談だと思った。


 ところがいよいよ陽は高く、開店時間をとうに過ぎてもヨーゼフの店はしん・・として、物音ひとつ聞こえてこない。


 ――あるいは、まさか、ひょっとして?


 不安の影が、人々の心に兆しはじめた。


 こういう場合のために警察が居る。通報を受け、戸を乱打すれど反応皆無。やむなく強引にぶち破り、中に入れば豈図らんや、店主は貼紙の内容通り、梁にぶら下がって死んでいた。


 一九二八年十月某日、ルクセンブルク公国での出来事だ。

 

 

Coat of arms of Luxembourg

Wikipediaより、ルクセンブルクの国章)

 


 このとしは自殺の「当たり年」といわれた。


 欧州全体で五万人、アメリカだけでも一万五千人が自殺している。


 おまけにその動機ときたらずいぶん馬鹿馬鹿しいのも多く、ゴルフの腕が落ちたとか、髪から艶が失せたとか、極めつけには列車に乗り遅れたという、ただそれだけを理由とし、突発的に死ににいった奴もいた。


 一方われらが日本国は、ざっと一万二千人。


 熱海の海では年明け早々、つまり正月一ヶ月の範囲内にて、実に七組十四人ものカップルが入水心中を遂げてのけ、翌二月には金沢市の芸妓五名――十六歳一名、他十九歳――が一斉に毒をあおって死んでいる。

 

 まだ止まらない。更に続けて三月三日、桃の節句の当日に、小石川区の細川侯爵邸内で見知らぬ男が縊死しているのが見つかった。


 彼の首に巻かれていたのはなんとつつみ調緒しらべおであり、踏み台にしたのもまた鼓。なにやら夢野久作の小説にでもありそうな、妙に艶やか、かつグロテスクな構図であった。

 

 

Japanese Drum

Wikipediaより、鼓の調緒)

 


 小説といえば、昭和二年に自殺した芥川龍之介に感化され、彼の模倣者――睡眠薬をガブ飲みするやつ――が引きも切らずに発生していた時節でもある。


 そういう薄気味悪い世相を反映うつして、第一高等学校で、前代未聞・破天破戒の寸劇が実行の運びとなったのも、やはりこのとし、一九二八年――元号にして昭和三年のことだった。

 

 

First Higher School, Japan before 1923

Wikipediaより、一高本館)

 


 同校の創立記念祭にかこつけてぶち上げられたものという。

 

醜夫、鈍才、見逃すなか


 挑発的な言辞を染めた大旆により人目を集め、しかも内容に至っては、更に輪をかけて凄まじい。


 なんといっても、華厳の滝をセットに再現しているのである。藤村操が「巖頭之感」を遺して飛んだあの滝だ。かてて加えてその前面に、ずらりと陳列されているのは、ありゃなんだ、猫いらず・カルモチン・亜ヒ酸・昇汞水……自殺志願者御用達の薬剤ばかりではないか。


 演者の名前に至っては、もはや開いた口が塞がらなくなる。


 失恋四太郎とか過度勉造とか家庭不和子とか丙午子とか……よくまあこんな発想を形にできたものだった。


 で、そんな如何にも冴えない風采をした連中が、しかしひとたび舞台の上で自殺を遂げるやどうだろう、たちまち涼やかな格好をした美男美女に変化して、あらん限りの脚光・賞賛を浴びるのである。


 自殺者といえばなんでもかんでも美化し同情したがりな世間並の感性を、痛烈に皮肉ったものだろう。

 

 

華厳の滝とその一帯)

 


 悪趣味・不謹慎の極みといえば極みだが、しかし私は評価する。いいセンスだと言ってやりたい。


 青年の客気とはどうにもこうにも抑え難い。千篇一律の道徳論なぞ焼け石に水、何かしらの行動で発散せずんばやまぬモノ。それを例えば、ゲバ棒担いで安田講堂占拠して、機動隊に火炎瓶を投げつけたりする赤色テロルに求めるよりか、こちらの方が兆倍はマシであろうと信ずるがゆえ。

 

 

 


 なお、言わでもなことだが、藤村操は生前に於いて一高の在学生だった。


 そのあたりを踏まえると、ある意味これは「身内ネタ」「身内いじり」と呼べるのか。「先輩に捧ぐ」という趣旨も、もしかしたら含んでいたのやもしれぬ。

 

 つくづく上手くできている。

 

 

 

 

 


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