アイヌラックル然り、ポイヤウンベ然り。
アイヌの世界観に於いて、雷神はよく樹木を孕ませ、そして英傑を産ましめた。
前者はチキサニ、すなわち
後者はアッツニ、すなわち
それぞれ誕生したのだと、北の大地に伝わる神話は物語る。
(Wikipediaより、春楡)
部族によって
民族学者に言わせれば、これは原始人類が火を手にするまでの最も露骨なメタファーだそうだ。落雷は山火事の
で、見逃せない事実として、春楡という植物は、薪としての性能が、非常に優れていることだ。
「昔はこの木の板に穴をあけて燧臼にし、この木の根を燧杵にして火を得た。それほど火を得るに大切な木であった。…(中略)…それは夜の保温のためにもまた大切であったので、爐の焚火の中にはいつもこの木の大きい丸太を一本入れて置く、するとたった一本だけでも一晩中決して消えることがなく、朝までトロトロと燃えつゞける。そのまはりで犬の皮などをかぶって、冬の夜を蒲団もなく過ごしたのである」
と、古いアイヌの生活ぶりを解説してくれたのは、明治生まれの北海道民・更科源蔵なる男。
寒冷地の北海道で火が生存上、どれほど重要だったかは、敢えて言うを俟たぬであろう。捧げられた祈りの規模も、また然り。アイヌにとって、火は最高の神だった。
それゆえに、薪としての性能が、そのまま子たる勇者の
(薪になあれ)
「ポイヤウンベも豪傑ではあるが、アイヌラックルの比ではないと言ふ。それは火の神として比較した場合を意味するものではないかと思ふ」――於瓢よりも春楡こそが薪として優秀なゆえ、ポイヤウンベはアイヌラックルについに及ばないのであると。
――以上、昭和十七年に出版された彼の著書、『コタン生物記』から引用させていただいた。
つい先ごろまで
お値段たったの四百円。安い。掘り出し物といっていい。北海道への理解を深める、素敵な
戦利品に囲まれて、ひとつひとつ、一頁一頁、丹念に真価を探ってゆくのは得も言われない充足だ。
これだから読書はやめられぬ。神保町はいい街である。夢のような邂逅が、訪れるたび待っている。仮にも「書痴」の
このこと、なんともありがたい。
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