馬のみならず、ロバにも乗った。
文久二年、エジプト、カイロに於いてであった。
咸臨丸で太平洋を往還してから、およそ一年七ヶ月。福澤は再び洋行の機会に恵まれた。幕府の遣欧使節団に選ばれたのだ。幸運でもあり、実力ででもあったろう。総じて時代の潮流が彼の背中を押していた。
この当時、スエズ運河は未だ開通していない。紅海から地中海へ――中東から欧州世界へ抜けるには、鉄道の便を間に挟む必要がある。スエズからカイロを経てアレキサンドリアの港まで、熱砂の国を汽車でゆくのだ。距離にして百七十一里の旅だった。
その途中、一向はカイロで二晩ばかり脚を留め、先に訪問するべきは英仏どちらであろうかと、以後の予定を話し合ったり、市内観光に出掛けたり、まあ様々なことをした。
福澤もまた、観光に出たひとりであった。
で、その際に使用した交通機関というのがつまり、
「ロバ」
だったというわけである。
(Wikipediaより、ロバ)
福澤自身の旅日記、『西航記』から、そのあたりを抜粋すると、
「土人多く駱駝驢馬を御す。余輩も一日驢馬に乗り諸所を遊観せり。馴獣愛すべし」
なんとも穏和な筆致であった。
和服姿でロバに騎乗し、月代あたまに赤道直下の日差しを受ける福澤諭吉を想像すると、なにやら妙な可笑し味が湧く。
この人にも色々な顔があるものだ。
(Wikipediaより、文久遣欧使節。左から二番目が福澤諭吉)
なお、『西航記』には意外にも、カニバリズムにまつわる話も載っている。
ペテルブルグで、現地の医師からそれを聞いたということだ。
「ドイツの生まれで、ロシア国籍を所得した、ヘンてな野郎が居ましてね――」
そんな口上を皮切りに医師は語り始めたという。
(ヘン?)
変わった名前もあるものだ。
それだけでもう奇異な感じを抱いたらしい。『西航記』には態々注意書きとして「人名」の二字が添えてある。以下、ふたたび抜粋すると、
「…此人宗旨を開く為め二十一年前妻子を携へて
どうもヘンという人は宣教師の類のようだ。
2018年11月の半ばごろ、北センチネル島に不法侵入、そのままあっさり原住民の餌食となった例の彼――ジョン・アレン・チャウのご同輩といっていい。
ニーゲルとは、あるいはニジェールの謂いであろうか? だとしてもシュダンは見当がつかぬ。古書のページを捲る際、地名にはいつも手古摺らされる。
細かな場所の把握については棚上げし、続く内容を見てみよう。
「ヘンの話に云く、ニーゲルにては当今も尚ほ人肉を食ふ。始めヘンのニーゲルに至りしとき、国王に謁見し旅館に帰りたり。其夜国王より贈物として肥たる一男子を送り、殺して之を食はしめんとせしに、ヘン大に驚て之を辞したり」
文化が違う。
「凡て此国にては敵と戦ひ擒となせる者及び国内の罪人を捕て食に供す。人肉を食ふ法は、地を掘て火を焼き、生ながら人を其坑に投じ、板石を覆ひ、暫くして坑より出し、切て之を食ふ。ニーゲルにては固より獣肉を食へども、最も人肉を貴ぶと云」
いやはやなんとも凄まじい。
とんだ土産話であった。
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