穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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糟粕壺 ―肉に滲み入れこの知識―

 

 書見中、「これは」と思った箇所をすかさずルーズリーフに書き留めておく。すかさず・・・・というのが重要だ。感動が薄れぬ内にやる必要がある。世間ではこれを備忘録とか名言ノートとか呼ぶらしい。


 実際、その効能は大したものだ。私のように生来迂愚に出来てる場合、ただ単に目を通しただけではそう易々と記憶化されない。付箋を貼ったり、マーカーを引いたりしてもまだ駄目だ。特に後者は本の情緒が損なわれる気がして厭である。


 どうしても手を動かして書き取っておく必要がある。そうして漸く、その内容が肉に滲み込む心地がするのだ。
 目下、そうして積み上げた紙束はバインダー三冊分に及んでいる。

 

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 ところで『ストーンオーシャン』の女囚グェスではないが、何にでも名前は必要だろう。
 私はこれを『糟粕壺そうはくつぼ』と命名した。
 由縁は当然、「古人の糟粕をなめる」というあの有名な諺である。


 私は最初、この糟粕というのをてっきり風呂桶にこびりついた水垢かなんぞかと勘違いしていた。おそらく「糟」という字が浴槽の「槽」を連想させたがゆえであろう。で、浴槽の「カス」とくればこれはもう、水垢以外にないわけで。
 なんともはや、これを考えた奴は根性が悪い、こんな表現をされた暁には確かに誰も先人の模倣なんぞしたいと思わなくなるだろう、不潔だが、戒めとしては最適だ――と、つくづく思った。
 それがあるとき、糟粕の真の意味を――水垢ではなく酒かすであると――知ったことで、私の中のこの諺へのイメージまでもが綺麗に反転したのである。


 酒かす、実に結構ではないか。それならいくらでも舐めてやろう。


 現に酒かすを活かした料理は多い。単なる廃棄物と思うなかれ、豊富な栄養素を含んでいるのだ。
 というわけで、私はいまやなんの気兼ねもなくこの「壺」の中身を満たす作業に熱中しており、また貯め込むばかりでなく、折に触れては蓋を開け、その味わいを楽しんでもいる。


 その恩恵は確かに巨大だ。このブログを書くにあたっても、どれほど役に立ったか知れない。


 私は文章の書き方に関するハウツー本など生まれてこのかた一冊たりとも読んだことはないのだが、それでもどうにか他人様ひとさまにお見せして恥ずかしくない文章が作れているのは、これが大きく与って力あると判断している。

 

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 漫画家を志す者がその第一段階として既存作品のトレスに着手するのと、或いは似ているかもしれない。


 プライドはないのか猿真似野郎、と罵倒する声が何処からともなく聴こえて来るが、なんの、模倣に始まり唯一に至るのが日本文化の真髄だ。誰に恥じることもなしと自信を持って答えよう。


 後はまあ、単純に文字を書く行為、それ自体が好きでもある。酒と同じく万年筆も、私にとっては手離すことなど考えられぬ嗜好品に他ならないのだ。

 

 

 

 


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